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L-TRIPインタビュー企画 #2-3(後編)『小児白血病と間質性肺炎』

本記事は前編・中編・後編の3部構成の中の「後編」となります。
▼前編▼

▼中編▼


ゲスト:T.N.さん
20代男性。小学校3年生の時にフィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病(Ph+ALL)を発症、造血幹細胞移植を経験。その後中学校、専門学校等を卒業し、現在は慢性GVHDによる間質性肺炎を発症。現在は自宅療養中。


10. 肺移植への意識

— 「先生からも『肺移植』という言葉が出るようになった」とのことでしたが、具体的にどのように出たのでしょうか?
そもそもですが、実は私が最初に骨髄移植後のフォローアップで肺の異常を指摘され、間質性肺炎の診断を受けた時に、両親には肺移植の話が出ていたようです。「将来的には肺移植が必要になるかもしれませんよ」という形で。当時私はまだ成人もしていなかったのもあり、しっかり知らされていなかった、又は知らされていても完全に理解できていなかったです。

話は戻りますが、この気胸で入院した際に、先生に突然「肺移植のことは考えていますか?」と聞かれたことがとても印象に残っています。突然過ぎて相当驚きましたから。

— 心の準備ができているならともかく、唐突に言われても反応に窮してしまいますよね…
「いずれにせよ、一度肺移植を行っている施設の先生に話を聞きに行ったほうが良いですよ。今から紹介状書きましょうか?」と言われ、驚くと同時に、自分の状態ってそんなに悪いのか…?と考えさせられる事になりました。

— 肺移植の適応は「今どれくらい悪いか」だけではなく、「これからどれくらいのスパンで呼吸機能が悪化して行くと予想されるか」によっても判断されるので、先生としては早め早めに理解しておいてもらったほうが良い、という判断なのでしょうね。
おそらく、今考えればそうなのだと思います。当時の自分にはなかなか理解できていませんでしたが…

— 移植実施施設の先生とはお話になったのですか?
外科の先生と少し話す事はできて、病気が進行すれば自分にも必要になることがわかりました。肺移植はやはり最終手段なんだな、と思っています。私はまだ酸素を必要としていないので正確に想像できませんが。やる前もたくさんの検査があって、やった後も感染対策や薬など大変なんだな、くらいのイメージです。それでも、今の呼吸状態が少しでも良くなるなら挑戦してみたいという気持ちになりました。


11. 気胸との付き合い

— 小学3年生の時に白血病を発症されたとのことですが、学校はどのようにされていましたか?
秋に気胸で入院したあと、ソラシックエッグという小さな胸腔ドレーンをつけて生活しました。その部位を濡らすわけにも行かないので、お風呂も大変でしたね。その後、1週間ほど経って、ソラシックエッグの交換のために病院に行ったら、気胸の状態が良くないとのことでまた入院する羽目になりました。

ソラシックエッグ

— 何度も入院することは非常に堪えると思います。気胸はその後改善したのでしょうか?
なかなか気胸の穴の空いた部位が塞がらないので、自己血(自分の血液)を用いた胸膜癒着療法*を行うことになりました。自分の血液を用いて血の塊を作って穴を塞ぐようで、15分くらいおきに体位変換等して忙しかった記憶があります。

*胸膜癒着療法:胸膜(肺を包む膜)に穴が空いていて気胸が何度も再発する場合に、薬剤等で肺に炎症を起こして肺と胸壁を癒着(くっつける)ことで再発を防止する治療法。

自己血ではなかなか塞がってくれなかったので、薬を用いて炎症を起こして塞ぐ方法も試すことになりました。確かブレオマイシンという薬を使用したのですが、痛過ぎてどうにかなるかと思いました。あれは人生で尿路結石の次に痛かったです…。

— 尿路結石も相当痛かったと仰っていましたし、なかなか想像するのも辛いです。
最終的にはやはりうまく行かず、呼吸器外科の先生に気瘻閉鎖術という方法で、シートを使って穴を塞いでもらいました。先生の術前説明が本当に上手で、素人でもよくわかり、不安を和らげてくれたことを今でもよく覚えています。今勉強している人はぜひあんな医師になってほしいです。

気胸で入院時の様子
(ご本人提供、穿刺部位は隠してあります)

後から聞いた話ですが、もしこれで塞がらなかったら、塞栓術というリスクのある方法を取らなければならなかったようです。そう思うとギリギリだったなあと思います。


12. 最近の問題

その後はしばらく安定していましたが、ちょうど1年頃前、突然喀血*があって救急搬送されることになりました。そんなに多量だったわけではないですが、口から血が出てくるんですから、本当にびっくりしましたね。ドラマの世界かと思っていましたもん。

*喀血:気道(気管・肺)から出血したものを吐き出すことを指す。出血が少量で痰に血が混じっている状態は血痰という。よく言われる「吐血」は消化管(食道や胃)から血液を吐き出すことで、喀血とは異なる。

— 突然のことで相当驚きますよね。
本当にそうです。救急隊の人に「どれくらい吐きましたか?コップ何杯分?」と聞かれましたが、流石にそんなのわかんないよ、と感じたことを覚えています。
この頃から、もしかして自分の体調ってやばいんじゃね?と思うようになったし、体が弱ってきているような気がしてきていました。

— 先生からはどのような説明を受けていましたか?
気胸の際の手術等でどうしても肺にダメージが蓄積していること、そして間質性肺炎で肺が固くなるとどうしてもこういった出血が増えてくること、などを説明されました。
体力が落ちているも感じざるを得ず、趣味の外出の回数も減ってきていたので、それなりに悪い病状なんだろうなあと自分でもわかっています。まだ酸素とかは必要ではありませんが。

— 最近は体調に変化がありますか?
徐々に悪くなっていますね。階段を登ったときなどの息切れと動悸がすごいです。
正直なところ、間質性肺炎がこういう病気なんだなあって理解せざるを得ないですね。治れ治れって思うよりも、受け入れて生活するしかないんだなって思っています。
もちろん新しい治療法が出てくるまで、まずは増悪せずに過ごせるといいなと思っています。


13. 医療従事者に伝えたいこと

— 小児期から現在まで病院に通っていますが、医療従事者へ向けて伝えたいことなどはありますか?
医師が病気のことについて詳しいことは前提だと思っています。患者はそれに頼るしかないので…。その上で、「この病気は、教科書にこう載っているからこういう治療をします」ではなく、「私の体の状態が〇〇だからこういう治療をします」、という説明をしてほしいですね。前者だと、なんだか人間を全員同じ機械として扱っているみたいに感じてしまいます。もっと個々人の身体に興味を持ってくれると嬉しいです。

あとは、よく言われることかも知れないですが、患者は不安を抱えているので、丁寧に接してほしいですね。今思い返すと、小児科の頃は子供相手というのもあって、非常に先生たちは丁寧に優しくしてくれていました。今の病院はどうだろうとたまに思うことがあります。大人になっても、調子が悪いと不安な時は不安です。

— 私が医師となっていく上でしっかり肝に銘じます。他の職種に関してはいかがですか?
看護師さんは、患者に対する意識は正直医師よりもしっかりしていた気がします。そういう職業だからかもしれませんが笑。先生に伝え忘れたことを看護師さんには言いやすいので良かったです。

薬剤師さんに関しては正直印象ないですね。薬を飲み始めて1週間くらい経ってから説明に来た記憶があって、「今更かよ」とは思いましたねえ。
あと、全然関係ないですが、お薬の味どうにかならないですかね。今飲んでいるイトリゾールシロップ、本当に凄い味です。今の一番の悩みの1つです。


14. 読者へのメッセージ

— 私が医師となっていく上でしっかり肝に銘じます。他の職種に関してはいかがですか?
一般の人に伝えたいことは、「外見では気づかない病気もあるから、ほんの少しだけでいいから優しさを持ってほしい」ということです。肺障害にしても、てんかんにしても、パッと見外からはわかりにくい辛さを抱えた人がたくさんいます。
同じような患者さんには、「一緒に頑張りましょう」と伝えたいです。肺移植の数が増えたり、新しい薬ができるのを待ちながらも、自分にできることをしていきたいなと思います。

— 本日はありがとうございました。お身体に気をつけて今後も過ごしてくださいね。


ゲスト:T.N.さん
20代男性。小学校3年生の時にフィラデルフィア染色体陽性急性リンパ性白血病(Ph+ALL)を発症、造血幹細胞移植を経験。その後中学校、専門学校等を卒業し、現在は慢性GVHDによる間質性肺炎を発症。現在は自宅療養中。

進行・編集:名倉慎吾
L-TRIP発起人。患医ねっとスタッフ。薬剤師。 2020年に東京大学薬学部を卒業後、2021年に大阪大学医学部へ学士編入学。ALLと間質性肺炎の患者家族であり、医師を目指して勉強に励む。間質性肺炎や肺移植に関する情報格差を少しでも減らしていきたいと考え、L-TRIPを発起。


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