どれだけ悔やんでもこの恋はもう治らない あとから好きだったと聞いたときのあの気持ち、なんとなく感づいていたけど確信がついた時のあのやるせなさ もう感じたくないし早く忘れてしまいたい、と今日もまた貴方を思い出す
まさかの一年以上ぶりの。 私は14歳から、あと1ヶ月で16歳になる。 私はなんとか、心からとは言えない第1志望に合格した。 そして、人間関係に泣き疲れ、部活で新しい試みに努めて、まんまと恋をしその恋は束の間に散った。そして私はまた恋をしてしまったのかもしれない
たとえ魔物が近づこうとも彼女はカメラを離さなかった
雨が好き このくらい暗くてふわふわしたような天気が好き あとつめたい風がふいてカーテンが泳いでるみたいできらきらした雨の匂いがする朝もすてき。 晴れてたり暑かったり蝉の声が五月蝿いと いろんなやる気をなくしちゃう、、 でもこんなんじゃ駄目だとわかっているのだけれど、ね 雨が降ったら最悪って思う人もいれば最高って思う人も居て、天気が晴れていれば最高って思う人もいれば雨じゃないのかって気分が下がる人もいる、人の感じ方ってそれぞれで単純なものではなくて、まだ言葉で表していないだけ
わたしはこんな黒いヤツになりたくて成長してきたんじゃないよきっと。小さなわたしはこんな私を夢見てない。変わりたいよ。
人が共感し合うところにわたしは共感できなくて、でも素直な気持ちを言ってしまうと否定されて、そんなことに毎日傷付いて。
私が今追いかけている人は、会ったこともないこっちが一方的に知っているだけの、いわば他人なのだ。 そんな人に、深々と、惹かれていった。 彼の好きな曲も映画も服も彼の声も容姿も私も好きになる。 彼が勧める作品は私にもすごく合う。彼効果なのだろうか。 一応結局見知らぬ他人に憧れや好意を抱くことは最終的にどうなるのだろうか。 誰もがきっと、共になることを、ありえないとわかっていても、夢に見る。 儚い存在をわたしはいつまで追いかけてゆくのだろうか。 私が彼に惹かれるように
未来の私が今の私を愛らしく感じてくれるのなら、どれだけ良い事か。
ある日、先生に、自尊心が低いと言われた。頑張っても、今まで全然コツコツとかできてこなかったから一気に盛大な素晴らしいことをしない限り、それを努力とは呼べないと思った。私は今までの情けない私を罪のように、全然努力ができない私を犯罪者のように扱ってきた。頑張ったことは努力と呼ばず償いのように。もしかすれば、そういうとこなのかもしれない。
多分怒涛の、いや、怒涛であるべきの、夏休みのはじまり。
ああ、どんどんどんどん悪に闇に包まれていくような気分。誰が悪いのか、私も悪い。誰かも悪いのか。苛立って、酔っているかのように、正直に素直に言ってしまいそうになる。後々、それを止めて良かったと、つくづく思う。
交わる人の残り香。
今日、祖父と祖母と曽祖父のアルバムを見た。 私が産まれる前の写真のアルバムだった。 私どころか母が産まれる前の写真も在った。 家族だからといってたくさん歴史を知っているわけじゃなかった。 全て私の知らない、思い出だった。 私は曽祖父には会ったことがない。 曽祖父のイメージと実際の曽祖父の顔は全然違った。 曽祖父は結構男前だった。 祖父に似ていなかった。 そして、祖母の若い頃は本当に母に似ていた。 そっくりだった。 今見たらあまり似てるだなんて思わないが超似ている。クリソツだ、
さっきあったはずのアレがなくて、 360°見渡してもなくて、 探してるうちにあれが何なのかもわからなくなって、泣きたくなって、叫びたくなって、冷房が効いているはずなのに、熱くなって、どうしていいのかわからなくなって
THE MUSIC DAY で 「愛を知るまでは」 を見た。 きらきらした夜景をバックに約280秒歌われた。 美しい東京の夜景をみると、やっぱり東京で働きたいって思う。 そして私が東京へ行けば、場所が違えば生活も変わるし、思考も変わって東京に呑まれてダメになってしまう気がする。 こんなにも夢を見ているけれど、そもそも東京は本当にいいところなのだろうか。 やさしい心を忘れてしまわないだろうか。 東京の夜景を見ると心の奥から夢が溢れ出してくる。 自分もこんなきらきらした夜景の中
わたしは幼い頃から雨が好きだ。 あの薄暗い感じが、雲で満ち溢れた空から降りてくるあのきらきらした雫が、愛おしいのだ。 最近は天気予報をこまめに見て、明日が雨かどうかを確認する。 休みの日だって、雨がいい。 太陽が燦々と晴れているより、雨が降っていた方が落ち着くし元気が出る。癒される。 幾つになっても変わらずに雨が好きなままでいたい。