足跡を刻む━『書く習慣』を読んで
書くことは、昔から好きでした。
若いときは、いろいろな考えが頭の中でごちゃごちゃになってわからなくなったり、どす黒い気持ちにとらわれて身動きできなくなったとき、ノートにそのまんま気持ちを書いてたりしてました。
書き殴るとはまさにこのこと、というくらいもう書き「殴って」ましたね。
そのくせ、日記のように毎日書くってことは、すごい苦手でした。
今思うと、私にとって書くってことは、記録するよりも、今でいうデトックスに近かったのかもしれません。
年齢を重ねるうちに、だんだん書くこと自体がめんどうになり、相変わらず頭の中がごちゃごちゃになるときもあったけど、それも見ないふりをしてやり過ごすことが多くなりました。
そんなことをしていると、私の今まで生きてきた時間が、なくなっていることに気付いてしまったのです。
歩いた後に足跡が付いていると思ってたのに、振り返ったら全部消えてたんです。
急に不安になりました。
私という人間は、今確かにここにいるのだけど、世界中から見たらいないのと同じ。
上も下もないような空間に放り出されたような気分でした。
そうだ。日記を書こう。
毎日、何でもいいから記録を付けよう。
それが去年の1月。58歳のときでした。
思い切って5年日記を買いました。
もしも孤独死して、遺品整理に来た人が、その日記帳を開いてパラパラとめくってくれたら、私という人間が存在していたことを知ってもらえる。
そんな想いで始めたら、今まで続いたことのなかった日記が1年続きました。
2年目からは、去年書いたのを読み返せます。
うれしかったこと、落ち込んだこと、仕事の愚痴など。
つまらないことも書いてますが、私の足跡が確かに残っているのを確認できて、少し安心します。
日記を残す以前は、年を取るのがいやだった。
いつまで健康でいられるかもわからないし、ボケたらどうなんの?と漠然とした不安がいつもありました。
日記を積み上げてきた今は、80歳上等、なんなら100歳になっても書いて、40年間の足跡を振り返れたら、きっと幸せなんだろうなと思ってます。
いしかわゆきさんの「書く習慣」を読んで、こんなことを思いました。
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