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ボウイへのファンレター

2016年1月、デイヴィッド・ボウイがこの世を去り、6年の月日が経った。

私にとって彼は特別な存在で、一度も会ったことない人の死に対しここまで深い感情を抱くことは後にも先にもないだろう。10代後半でボウイの洗礼を受けなければ私の人生は今とは確実に違ったものになっていた。彼の書く詞の意味を知りたいとあれほど切望しなかったら、英語の勉強など高校卒業と同時に終了していたに違いない。

彼の死後1ヶ月くらい経った頃、ボウイの息子ダンカンが彼の元に届いた一通の手紙をweb上に公開した。送り主は英国カーディフに住む緩和ケア専門医。ボウイへのファンレターだった。このファンレターに私は深く心を打たれ、その場で一気に翻訳した。英語が読めない日本人に伝えたいとかそんな使命感のようなものは全くなかった。純粋に自分のためだけに訳したかったのだ。

翻訳は私の職業であり、普段はそれで金銭的な対価をいただいているわけだが、私にとって翻訳は、ごくたまにこういう不思議な、どこかスピリチュアル的な作業になることがある。読み手など必要なく、自分のためにだけ、訳す。翻訳という作業を通じて、このカーディフのボウイファンの気持ちと自分の気持ちを重ね合わせたかった。

あれから6年の月日が経った今、自分の考えていることを友達ではない誰かにアウトプットしたい気持ちが高まっているので、極々私的なこの翻訳もここにポストしておこうと思う。

(文中「ヒーロー」という言葉を親しみを込めてドイツ語でHeldと書いている所から、恐らくこの医師はドイツ人か、ドイツに深い縁のある人だと思う。)

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親愛なるデイヴィッドへ

嫌だ、ウソだと言ってくれ。

—— 2016年1月の灰色で寒い日々、あなたの死が現実の出来事として徐々に心の中に浸透していくのを実感しながら、私たちの多くは普段のように毎日仕事に出かけました。あの週の始めに私は勤務先の病院で死に瀕した患者と話をしました。私たちの話題はあなたの死と、あなたの音楽から始まって、いくつもの重い話題へと移って行きました。人生の終焉に直面する人とこうした話題について率直な対話をするのは一筋縄ではいかないものです。あなたのストーリーは私たちが患者の死——つまり、多くの医師や看護師が当事者である患者本人にどう話を持って行けばよいのか苦心する話題——について、大変オープンに話し合うきっかけを与えてくれました。この会話について詳しく話す前に、まずは私の個人的な感情をここに吐き出させてください。あなたが私の告白を「悲しいまでに退屈*」だと思われないことを願います。(訳注:「Life on Mars?」の歌詞からの引用)

80年代をありがとう。あなたが発表したアルバム「ChangesOneBowie」は、何時間も続く音楽の楽しみを私たちに与えてくれました。特にダルムシュタットからケルンへと旅をした時。旅を共にした友人達と私は、あの時を思い出す時には必ず「Diamond Dogs」、 「Rebel Rebel」、 「China Girl」、「Golden Years」といった曲を一緒に思い出すことでしょう。言うまでもありませんが、私たちはケルンで素晴らしい時を過ごしました。

ベルリンの時代をありがとう。特に初期の頃、東西ドイツに起きている事態に音楽的背景を与えてくれた時に感謝します。私は今も「Helden」 (訳注:「ヒーローズ」のドイツ盤) のレコード盤を持っていて、あなたの死を知った時にそれを聴きました。(「Helden」が今月末にペナースのパイロットクラブで行なわれるアナログミュージッククラブでフィーチャーされると聞いたらあなたはきっと喜んでくれるのではないかと思います。)デイヴィッド・ハッセルホフをベルリンの壁崩壊と東西統合に関連づけて思い出す人もいるかと思いますが、多くのドイツ人は「私は自由を求め続けて来た」というコメントを繰り返しラジオで聞くよりも、「時間がタバコに火をつけてミスター・ハッセルホフの口にくわえさせる」(訳注:「Rock ‘n’ Roll Suicide」の歌詞のパロディ)ことを願っていたのではないかと思います。私にとって、あの歴史的瞬間のサウンドトラックは「ヒーローズ」に他なりません。

また、私の友人イファンに代わって、ありがとう。彼はあなたがカーディフで行なったギグを観に行きました。彼の妹ハフがあの夜会場入り口でバイトしていたために、イファンはギグにタダで忍び込ませてもらえたという噂を聞きました。(彼は「ごめんなさい!」と言っています。)あなたは彼と彼の友人たちに向かってステージから手を振ってくれました。これは彼の一生の思い出になりました。

「Lazarus」と「Blackstar」をありがとう。私は緩和ケア専門医です。あなたが死を迎えるにあたって行なったことは、私と私が一緒に働く多くの人に深淵なる影響を及ぼしました。あなたのアルバムには引用、ヒント、そして引喩にみちています。いつものように、あなたは簡単な解釈が出来ないようにしましたが、恐らくそのこと自体は重要なことではないのでしょう。

私はあなたが自分の人生に大変なこだわりを持っていたとよく聞きました。私には、あなたが自宅で迎えた安らかな死と、あなたが別れのメッセージを込めたアルバムのリリースとがこれほど近いタイミングであったことが、偶然であるとは思えないのです。死が芸術的作品になるように、全てを注意深い計画の上に行なわれたのではないかと思うのです。「Lazarus」のビデオは大変深く、多くのシーンが観る者に様々な解釈を許すものになっています。あなたが避けられない死と直面した時に過去と対峙する姿だと私は受け取りました。

あなたが自宅で死を迎えたことについて。仕事上、死について話し合うことがありますが、多くの人が死は大半が病院という医療現場で起こるものだと考えています。しかし私はあなたが自宅での死を自ら選び、細かい所まで色々とプランしていたのではないかと推測します。それは緩和ケアに携わる私たちの目標の1つでもあり、あなたがそれを成し遂げたということで、多くの人が今後それを有効な選択肢の1つとして認めるようになるのではないかと思います。 

あなたの死後間もなく発表された数枚の写真は、死の数週間前に撮影されたものと聞きました。それが正しい情報かどうかは私には分かりませんが、私を含む多くの人たちがあんな風にスーツをシャープに着こなしたいと思うような写真でした。本当に格好いい写真です。あなたがいつもそうであるように。人生の最後の数週間に遭遇する全ての「Scary Monsters(訳注:恐ろしいモンスターたち。80年リリースのアルバム名)」に真っ向から対峙しているように見えました。

あなたの症状をコントロールするニーズについて。あなたは恐らく緩和ケアの専門家たちから痛みや吐き気、嘔吐、息切れなどについてアドバイスを受けていただろうと思います。そして専門家達はそれを上手くコントロールしていたことでしょう。また、あなたが感じたであろう感情的な苦悩についてもきちんと話し合っていたのではと思います。

あなたのアドバンスケアプランニング(症状が悪化して自分の意志を表現することが不可能になった場合を想定したプランの作成)について。あなたは沢山のアイディア、希望、前もって下した決断、そして約束を提示されたことと私は確信しています。

これらは文書に明確に書き記してあなたの家のベッドの近くに置いてあったのではないかと思います。あなたに出会い、ケアを提供する人たちが、あなたの意志伝達能力の有無に関わらずあなたの望みを明確に理解できるように。これは緩和ケアの専門家達のみならず、全てのヘルスケアワーカーが望み、現状の改善を願うことでもあるのです。容態の変化が自動的に救急搬送という結果に繋がらないようにするために。特に患者が自分の意志を言葉で伝えられない状態にある時に。

あなたの人生の最後の数日、数時間に心肺蘇生処置(CPR)を施そうとした人はいなかったのではないかと思います。その可能性を考慮した人さえもいなかったのではないでしょうか。残念なことに、CPRについてはっきりと拒絶の意志表示をしなかった患者に自動的に施されることになることがあります。CPRは時に骨折を伴う胸部圧迫や、電気ショック、気道確保のための注射や器具挿入を意味し、癌が全身に転移した患者の場合成功率は2%以下なのです。

あなたはきっと「CPRをしないでください」という指示書をメディカルチームに作成するように依頼したのではないかと思います。この決定をするにあたってどのような葛藤があったかについては、私には想像することしかできませんが、あなたは人生において最も困難な時にもやはり「Held ヒーロー」だったことだろうと私は信じています。

あなたのケアにあたった専門家達は、緩和ケア・終末ケアを提供するにあたって確かな知識と技術を得ることになったと思います。残念なことに、この部分は大変重要な過程であるにも関わらず、医師・看護師を含む若い医療従事者たちのために教育プランを立てる人がその重要性を見過ごしていたり、優先順位を低くつけて後回しにしてしまったりなどして、必ずしも充分なトレーニングの機会を与えられているとは言えない部分なのです。あなたがまたこちらに戻って来るようなことがあれば(Lazarusがそうであったように)あなたはきっと優良な緩和ケアトレーニングが全ての関係者に行き渡るべきだと訴えかける主唱者の役割を買って出るのではないかと思います。

話を戻します。

進行がんが全身に転移して余命は1年余りではないかと思われるという事実を知らされた女性と交わした会話です。彼女は私にあなたの話をしてくれました。あなたの音楽を愛していたこと、でもなぜかあなたのジギースターダストの衣装はだけどうしたものかと思ったこと。(彼女はあなたが男の子か女の子なのか分からなかったそうです。) 

そして彼女もいくつもの場所や出来事の記憶を持っていました。あなたの手による風変わりなサウンドトラックがついた記憶です。それから私たちは健康について、死を迎える時について、そして人々が普通どのようにその時を迎えるのかについて話しました。また、私たちは緩和ケアについて、またそれがどう患者をサポートするのかについても話しました。彼女は彼女のご両親の死について話してくれ、また自分はその時を病院や救急ではなく家で迎えたい、でも家では症状に対応するのが難しいとなったら地元のホスピスへの転院も喜んでするという希望を話してくれました。

私と彼女は、あなたが最後の息をした時に誰に見守られていたのか、そしてあなたの手を握っていた人はいたかについて想像を巡らせました。これは彼女自身が死を迎えるに際して描くビジョンの側面のうちでも最も重要なことだったのではないかと思います。そしてあなたはこの最も個人的な願望を、ほとんど見知らぬ人といってよいような存在であった私に伝えるすべを彼女に与えたのです。

ありがとう。

原文:By Dr Mark Taubert, Palliative Care Consultant at Velindre NHS Trust, Cardiff, UK @DrMarkTaubert Photo: J. Ourlin