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行間を編む
最近の私の日常は、ここ数年の中ではちょっと非日常で、そんな日々もなかなか面白いので、久々に幾つかのテーマで文章を書いてみました。今回のテーマは、大好きなこと。「アイスホッケー」と、「書くこと」と、「仕事」について、シンプルな愛をシンプルに紡いでおります。よければ是非!
純粋キラキラマインド
今シーズンも、「今ピンチだな〜」と思うタイミングが来た。
ピンチのコインの裏面は大体チャンスで、どんな気持ちでピンチの期間を過ごすか、どれだけ気持ちを腐らせずに前に進めるかが鍵だと思っている。昨シーズンは、一度試合を外されたピンチから、「ここをどう捉えるかでこの後が決まる」と思って、思いっきりマインドセットを変えられたことでチャンスになって、結果的にそれを機にたくさん起用してもらえるようになった。
ただ、今シーズンのピンチはこれまでとはちょっと違って、本当に自分ではコントロールできないこと──ビザの関係で年明けの6試合に出られないことだった。フィンランドにも一定期間戻れないので、チームへの再合流も遅れてしまう。今シーズンは、個人的に調子も上がっていた分、プレーできない試合があるのはもどかしかったけど、自分ではどうしようもなさすぎる。
だけど分かっていた。この期間、一番大切なのは、気持ち的にどう保って前に進み続けるか。練習もできる、トレーニングできる体はある。だからこそ、気持ちで立ち止まったら勿体無い。焦りや不安を感じないように、感じてもとらわれないように、できるだけ1日1日、今できることに集中して、フィンランドに戻った時に最高に輝けるように準備していこうと自分に言い聞かせていた。そして欲を言えば、今ここでしか掴めない何かを掴んでいきたいな、と密かに思っていた。
久しぶりにこの時期に日本にいるから(コロナの時を除けば高校卒業以来)、練習場所の確保から心配していたけど、結果的にそれは杞憂だった。社会人の練習に一度出させてもらったら、そこからいろんな人に誘っていただけるようになって、気がつけばかなりいい練習とトレーニングが積めている。トレーニングに加えて週5で氷上に乗れる週もある(東京の環境で考えたらすごいこと)。
必ずしも、フィンランドやアメリカ、カナダのような環境や練習の時間帯ではないからこそ、今ある練習時間と環境の中で全力を尽くすこと・リソースがないときは工夫して自分で作り出すことをより意識して、毎日過ごすようになった。どんなに遠い練習でも終電に間に合う限りは行くし、終電に間に合わない練習は昔みたいに父が車で連れて行ってくれる(感謝感激雨嵐です)。
そんな中で、しばらく忘れていた感覚を思い出してきた。本当に純粋で単純な、このアイスホッケーというスポーツを全力でやる楽しさ。練習時間より移動時間が長くても、日を跨ぐような時間の練習でも、ホッケーをするためだったらどこでも行っていた日々のこと。当たり前にこのスポーツの楽しさを分かっているつもりだけど、あの、年中の時にアイスホッケーを始めてからジュニア時代の間、純粋に上達や楽しさを追い求めてどこにでも行っていた時の感覚が蘇ってきて、震えた。
日本にいる間は、当たり前だけど、どれだけ練習しても、どれだけ試合形式の練習で点を決めても、公式な記録も何もない。誰かに何かを証明するためや、自分の活躍を記録に残すためのホッケーではない。でもホッケーをやっている意味がちゃんとそこにはある。練習でも、頭の中が空っぽになるくらい全力を尽くした時がものすごく楽しい。もっとパスを繋ぎたくなるし、ゴールに向かいたくなる。泥臭い役でもいいからパックを奪って、味方に繋げたくなる。
そんな時、本当に自分の好きなホッケーができている。最近は、力まないのに面白いプレーがたくさん出てくるようになっている気がする。
もちろん楽しいから20年以上もこれまで続けているんだけど、ずっと競争という環境の中にいると、1点ごとに一喜一憂したり、今日のプレーで自分の立ち位置が変わるかなと考えたり、「アスリートとして責任と自覚をもたないといけない」と、自分をがんじがらめにしてしまうことはよくある。だけど今、小学生の頃の「楽しい」の感覚を思い出して、その純粋さに感動している。もちろん、たくさんの人に支えてもらって、応援してもらっているからこそ実現できるキャリアであるから、活躍を通して恩返しするという責任は自覚しているし、そのおかげで気が引き締まって頑張れる。だけどそれと両立して、競技への愛とか大切さがまた、あの頃の単純な「楽しい」の延長線上に乗っかるようになってきている気がする。
そういえば、最近読んだある本の中に出てきた話。(うろ覚えなので全く正確ではないけどこんな感じのストーリー)
ある子供たちが、単純に「楽しい」からサッカーをしていた。しかし、その場所は近所のおばさんの家の花壇がある庭で、毎回そこに子供たちが来て庭を荒らされるおばさんは困っていた。いくら言っても子供たちはそこでサッカーをするのをやめない。
いくら言っても庭が荒らされるので、考えたおばさんは、サッカーをする子供たちにお小遣いをあげるようになった。最初は1回そこでプレーするごとに100円。子供たちは、大好きなサッカーをして、さらにお小遣いまでもらえることに喜んだ。次の日は、80円。その次は50円。その次は10円。そして最後の日はお小遣いなし。その日を境に、子供たちは庭にサッカーをしに来なくなった。
最初は「楽しい」が全てだったスポーツ。それでお金をもらえるようになると、さらにモチベーションが上がって最高だと感じる。でも、お金がなくなった時に、スポーツをする理由やモチベーションがもはや、最初にあった「楽しい」ではなくなっている、という話。
ここでいう「お金」は、同時に名声であり、評価であり、成績であり、自分の力を見せつけたいという欲望であるのかもしれない。
アイスホッケーが大好きなスポーツであるのは前提で、その情熱がなくなったことは一度たりともないんだけど、同時に、他のものの存在が大きすぎて、楽しい・大好きが霞みそうになったことは、多分何回もある。そんな時、気がついたら好きなスポーツなのに、そのことで悩んでいる。
でも多分、一番忘れやすいあの頃の「楽しい」がベースなんだと最近は思う。あの時の「楽しい」「もっとやりたい」「もっと上手くなりたい」さえ心に持っていたら、記録とか結果とか成績とか欲しいものは、来るべき時に後からついてくるんだと思う。競争の中にいると難しいことでもあるんだけど、今の私にとっては、それが本質な気がする。
今回の日本滞在では、昔から一緒にやってきた親友たちとも久しぶりに一緒にプレーして、初めて会う方とも一緒にホッケーして、時には教えてもらうこともあった。ジュニア時代をなぞるようなアイスホッケー生活を送って、小さい頃にホッケーを始めたばかりの、ただ楽しくてたくさん練習に乗りたい、ずっと氷の上にいたいという時期を鮮明に思い出した。それが自分の中でどんどん濃くなっていって、自分にかけるプレッシャーとか欲とかが少しずつ薄くなってきている。
だからもっと、進めるんだと思う。ピンチだった日本滞在で掴めたこの気持ちのおかげで、できる限り長く、本気の全力のホッケーをしていたいと心の底から思えて、これからがもっと楽しみになっている。
もうすぐ帰れるフィンランドで、また試合をすることが楽しみで仕方ない。小学生の時みたいな、純粋キラキラマインドをお土産に、チームに戻っていこうと心に決めた佐野月咲26歳冬でした。日本でたくさん練習に誘ってくださった皆さん、氷に乗る機会をくださった皆さん、本当にありがとうございます!
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行間を編む
言葉が大好きで、読むことも書くことも好きなんだけど、よく思うことがある。言葉を紡ぐのと同時に、伝えたい気持ちや頭のなかで思い描いていることは、言葉の隙間とか行間からこぼれ落ちてしまう。自分にとって大事なものこそ、簡単に言葉には当てはめられない。言語化って、難しい。
だからこそ、言葉の間から想いが滲み出てくるような文章や音楽に出会えると嬉しくなる。
アスリートの文章や本をよく読むのは、その不器用そうな言葉の間に厳しさや悔しさが滲んだりしていて、リアルすぎて刺さるから。愛や温もりだけじゃなくて、悔しさとか寂しさとかも詳細に伝わってきて、その人の人生を見ているような気になる。気持ちを重ねたくなることがある。
そんな音楽に出会うこともある。大学の時、怒りとか悔しさが募った時は、チームメイトが帰った後のロッカーのシャワーにチームの大きいスピーカーを持ち込んで、耳が割れるくらいの音量で、ちゃんみなの「 PAIN IS BEAUTY」を流しながら、気が済むまでシャワーを浴びていた。ちゃんみなの曲は、歌詞だけじゃなくて音楽全体から、身を削るほどの痛みとか怒りを感じるものが多くて、その時の私は自分に重ねて、痛いけど救われていた。シンプルな言葉が痛くて、メロディーも痛くて、その行間から伝わる気持ちが痛くて、だから響いた。ちゃんみなの歌を聞いた時に、言語化以上の言語化があるんだと思った。
シンプルには言語化できなかったはずの気持ちやその人の歩んできた道が形になっている作品を見ると、強いなあと思う。文章も音楽も、私たちが持ってる辞書から言葉を取り出して紡いでいく過程で、言葉だけでは生み出すことのできない、気持ちやメッセージが行間に編み込まれているのかな、と思う。今までの酸いも甘いも、向き合った上で言語化したり形にしたりする人はかっこいい。
初めてnoteを書いたのが2年前。私はそれまで人に言ってこなかった、どうして大学からアメリカに行ったのかということについて書いた。それまで、アメリカの大学に進学した理由は悔しくて恥ずかしくて誰にも言っていなかったんだけど、そこで初めて言葉にして、できるだけ自分の想いや覚悟も込めて書いて、そしたら私の中にあった悔しい過去が一つ、自分だけの強みに変わった気がした。
書くことは、消化することだと思う。愛とか温もりとかももちろんそうだけど、どんなモヤモヤも、怒りも、思い出すだけで逃げたくなるような失敗も、何か形にしたら少し、昇華される。
今日も、誰かに見せるわけでもなく、思いついたままに書く、書きかけの文章が携帯のメモにたくさんある。嬉しいこと、よかったこと、感謝の気持ちや愛を書き留めておく。悔しかったことや不安になったことも書いていく。そんな時は多分、自分が気に入らなかった過去を好きになりたいから、悔しい過去も「あって良かった」と思えるようになりたいから、書いているんだと思う。書くことで、消化して昇華している。
単純に言語化するには複雑すぎる、難しめのこの心を伝えたいから書くんです。言葉を選びながら、行間には想いを込める。
昔から、色んな本に助けられてきた。本を読んで世界が広がって、活字の羅列から、その隙間から自分の知らない世界をのぞいてきた。そこにあったのは、それぞれ書き手の人が歩んできた過去があったからこそ作り出せる世界だった。私は書くことのプロではないから自分の文章がいつか誰かのためになんて言わないけれど、ただただ、文字が好きで、書くことで解けていく糸があるから、今日も書くんです。悩んだ日とか迷った日こそ、文字を紡いで、行間を編む。
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スタバモバイルオーダーの正義
出社する日のルーティーン。降りる駅の、一駅手前を発車する電車の中で、スターバックスのアプリを開いていつものコーヒーをモバイルオーダーする。
駅に着いて改札を出る頃には「商品のご用意ができました」と通知が来ている。横断歩道を渡ってそのままスタバに入ってそこに置かれているコーヒーを手に取る。店員さんと、微笑み(だと私は信じてる)を交わしながら、ちょっと背筋を伸ばして早足で店を出る。ここまでがいつもセット。
私のクレジットカード履歴を見ると頻繁に出てくるのがスターバックスのコーヒー代だ。出社する時は必ず買うし、カロリーの高いタスクに取り組む時はいつもスタバに行く。季節限定目当てではなく、普通にコーヒーやラテを買う。
出社の日は、試合の日にちょっと似ているなと思う。
自分が好きな洋服を着て、好きな匂いをまとって、オフィスからは少し歩くけどスタバがある駅で降りて好きなコーヒーを買って、歩いてオフィスに向かう。
試合の日もそう。所属するチームにもよるけど、許される時は好きな洋服を着て、メイクして、コーヒーを持って、好きな音楽を聴きながら歩いて、会場入りする。途中でチームメイトが車で通って乗せてくれようとしても、大雪でない限りは試合の日は歩く。
ハーバードにいた時のコーチは、ユニフォームの揃い具合とか防具の着こなしにかなり厳しくて、私たちはいつも、"Look good, play good" と言われていた。見た目もしっかりしていたらいいプレーができる。試合の日の服装も、ドレスパンツに綺麗なトップスを着るのが決まっていた。
"Look good, play good" のその行間には、「自分の気持ちがよくなる」が入ってると思ってる。見た目がしっかりしてたら、自分も気持ちよく気が引き締まるから、良いプレーができる。自分にとって素敵なもので自分を囲むと、自分自身が気持ちいいし、そこから試合も仕事も始まってる。
だから試合の日も出社の日も、気分がよくなる投資は惜しまない。ドリップコーヒーの方がコスパがいいのもわかるけど、高校の時からいつもお世話になっていたスターバックスのコーヒーは私が好きなアイテムの一つだから、大事な時はスタバを買う。
今アスリート社員として働かせてもらっている会社は、日本にいるときは定期的に出社することになっていて、(多分その頻度が心地よいからだと言うのもあるけれど)、その出社の日が密かに楽しみになっている。大切で大好きなものを扱えるオフィスに行く日は、折角だから自分自身も素敵でいたいし楽しみたいから、試合の日みたいに、気分が上がる準備をして向かう。
自分にはアイスホッケーしかないと思って、それだけじゃない自分だけの道を切り開こうと、必死になっていたつい最近までの私の日常に、新しい色をつけてくれたこの仕事に救われている。ホッケーがあるだけでも幸せなのに、その他にもこんなに本気になれるものがあるって、働くことが目的じゃないくらいに熱くなれる仕事ができるって、本当に幸せなことだと思う。チャンスをくれてありがとうございますって、毎日本気で思ってる。だから、毎回オフィスに行く日は最高の日にしたくて、身につけるものから口にするコーヒーまで好きなもので身を固めて向かう。
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おまけの話。出社が好きな理由がもう一つある。大学4年生の頃、学生最後のアイスホッケーシーズンが終わって、無事に卒論も出し終わって、初めて暇な時間ができた私は、The Bold Typeというニューヨークを舞台にしたオフィスドラマにハマった。ファッション雑誌で働く3人の女の子たちの話。昼間はオフィスで働いて、いろんなドラマに巻き込まれて、いろんな恋愛をして、思いっきり公私混同しながらも仕事を頑張る女の子たち。
毎朝、オフィスに向かう登場人物3人はいつも早足で、首から下げたカードをセキュリティゲートにかざし、毎回なぜかエレベーターで同僚と落ち合い、早口で挨拶がてらゴシップを捲し立てながら、オフィスの自分の席へ向かっていく。手にはラージのコーヒー。
、、、かっこいい。
多分、私の中の働く像はそこで形成されている。
その時に初めて、ニューヨークで働いてみたいな、いつかオフィスに通って仕事してみたいな、と思った。なので今、こうやってたまに、トーキョーのオフィスに通えるのが嬉しい。たくさんあった夢の1つが叶ったようで、すこぶる嬉しいんです。
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試合(つまり出社)の日は、好きなものが揃ってる。大好きな仕事、ハートが超素敵なチームの皆様、好きな服、気に入っている香水の匂い、そしてスタバのコーヒー。気分がいいから、高カロリーなタスクがあっても頑張れる。スタバのモバイルオーダーは、コーヒーの味だけじゃなくて、私のオフィスドリーム代も入っているんです。おかげで私は今日もテンション高く、最高な気分で仕事ができます。
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終わりに
久しぶりに書きたくなって、書いてみました。去年のこの時期に書いた、その辺に落ちてる小石を拾い集めたみたいな文章が自分でも結構好きで、久々にそれを読み返して、また、今の私の日常にある小石を、拾って書いた文章です。でも、去年の自分、良い文章書いてるな〜。なんか今の自分がちょっと悔しくなるくらい、気持ちのいい文章書いていたみたいなので、今年は定期的に文章書いて磨いていこうと改めて思いました。
感情や感覚ベースで書いてしまったので、読みづらいところたくさんあるだろうな、と思いつつ、適度に削ったり適度にそのままにしたりしております。これを書きながら、本当に日常で色んな人に支えられて守られてきて今があるなと改めて思い、そしてまだ書ききれてない色んな思いや出来事があるなとも思ったので、近況報告だけではない、自分が好きと思える文章もちょくちょく書いていけたらなと思いました。
これを読んでくださった皆さん、本当にありがとうございます。皆さんにとって今日も明日も明後日も、とてもハッピーで良い日でありますように♡
月咲
↑去年書いた、小石集めな文章。日々にキラキラを見つけてる感じが、自分でも結構好きなんです。
↑文中に出てきた、初めて書いたnote。緊張してる感じがして、これも結構好きです。
↑ 「PAIN IS BEAUTY」by ちゃんみな
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