宇多田ヒカル「Beautiful World」からゲンドウの心情も感じる気がする
まえがき
ようやく昨日から筆者のゴールデンウィーク開始です。
大型連休にすることといえば・・・。
そう、怪文書執筆です。
というわけで、今回はなぜかシンエヴァ→エヴァQと公開順と逆に書いてきたヱヴァンゲリヲン新劇場版主題歌シリーズの最終回。
「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の主題歌であり、2作目「破」や最終作「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」でも別アレンジ版で使用された、まさに新劇場版シリーズを象徴する楽曲。
宇多田ヒカルさんの「Beautiful World」を紹介したいと思います。
※以下、エヴァンゲリオンシリーズのネタバレに触れる記述がありますので予めご了承下さい。あと筆者の過去記事もユックリヨンデイッテネ。
曲紹介
作詞・作曲・編曲:宇多田ヒカル
2007年9月1日公開の映画「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序」の主題歌。
前述した通り、その後のシリーズ中でも別バージョンでテーマソングに起用され続けました。
2作目「破」では「Beautiful World -PLANiTb Acoustica Mix-」が、完結作「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」では「One Last Kiss」と共に「Beautiful World (Da Capo Version)」が使用されました。
歌詞
「序」の主題歌として聴くと、シンジをイメージした歌詞かなぁと思っていたこの曲。
しかし、シンエヴァを観たことで少し解釈が変わりました。
「もちろんシンジ要素もあるけど、ゲンドウの心情も色濃く反映されているのでは?」
そんな風に聴こえるようになりました。
考えてみれば、エヴァンゲリオンは全てゲンドウの個人的な喪失感から始まっているお話しなので、ゲンドウの気持ちがイメージされてるのは当然といえば当然です。
ゲンドウの独白シーンがシンジの「僕と同じだったんだ、父さんも」から始まるのも象徴的ですね。
シンジとゲンドウは実は似た物同士。
同じ孤独、同じ生き辛さを感じている。
でも、父を乗り越え息子は成長した。
取り戻せない過去にすがりついた父と、喪失を受け入れて未来を見た息子。
最後は「父にありがとう、母にさようなら」と告げて息子は独り立ちする。
エヴァンゲリオンとは、要約すればそんな話なのかなと思います。
そういう意味では、ゲンドウの心情というよりエヴァという作品全体のテーマを散りばめたらこうなった、という歌詞なのかもしれません。
シンエヴァでは独白という形でゲンドウの想いがはっきり明示されますけど、TV版・旧劇場版でもきちんと描写されてますからね。
この曲の制作当時(新劇場版公開前)から、宇多田さんはそういうイメージを感じ取っていたのかもしれません。
では、いつも通り導入が長くなりましたが歌詞を見ていきましょう。
※歌詞は歌ネット(https://www.uta-net.com/song/55539/)から
なお、表記にだいぶ迷ったんですが今回も前回同様「ヴァース」「コーラス」で表記します。
AメロBメロでも分類できそうでしたが、なんかこの曲は構成としてヴァース・コーラスの方が自然かなと思いまして。
「でもヴァースの中で明らかにメロ2つあるじゃん」って言われたら何も反論できないので、あくまで筆者の個人的な気分の問題とご容赦ください・・・。
コーラス①
「もしも願い一つだけ叶うなら
君の側で眠らせて どんな場所でもいいよ」
この2行にゲンドウの気持ちが全て集約されているように思えます。
人の形を捨ててでも、ユイさんにもう一度会いたい。
旧劇場版でもシンエヴァでも、ゲンドウが人類補完計画を進める理由はただその願いを叶えるためでした。
そして、それはただひたすらにユイさんを愛しているから。
「It's only love」はそんな心境を表しているのかなと感じます。
そう考えると曲名でもある「Beautiful world」はとても切ない言葉です。
もう一度君に会えるなら、そこがどんな場所でも構わない。
君の側で眠れるなら、世界がどうなっても構わない。
君がいる世界が、僕にとっての美しい世界なんだ。
そういう意味を込めた曲名とサビに聴こえますね。
なんていうか、この解釈だとゲンドウは本当にセカイ系主人公ですね笑
まあシンジも充分セカイ系主人公ですし、そもそもエヴァの大ブームがセカイ系にも多大なる影響を与えているので、セカイ「系」というか系を作った元凶の作品じゃんって言われたらその通りです笑
もちろん、この部分はシンジやカヲルの心情としても解釈できます。
しかも続くフレーズが
「Beautiful boy
自分の美しさ まだ知らないの」
なので、素直に考えれば少年への呼びかけです。
序の終わり方も、綾波へのシンジの有名な「笑えばいいと思うよ」→月でカヲルが目覚めて「また逢える日を楽しみにしているよ、碇シンジくん」→Beautiful Worldのエンドロールが始まる、なので「シンジの綾波への気持ち」「カヲルのシンジへの気持ち」でも充分成り立ちます。
「自分の美しさまだ知らないの」は自己肯定感低いシンジっぽいですし、主人公ですし、普通に考えればシンジですね。
でも、シンエヴァでの「僕と同じだったんだ、父さんも」と独白を観てしまった後だと、これゲンドウでも成り立ちませんか?っていうのが今の筆者の感覚です。
誰かを愛することを知ったのなら、それだけ成長している。
その経験を糧にして、喪失を受け止めて前に進めばいい。
君はもう充分美しいよ、もっと自分に自信持っていいのに・・・。
そんな風に解釈すると、ゲンドウを描写しているようにも感じられます。
まあこれは完全に筆者の個人的な感覚ですので、皆さんがどう解釈したかご意見あれば是非コメント欄にお願いします。
ヴァース①
「自分が好きじゃないの」
エヴァを象徴するようなフレーズですよね。
エヴァの主要登場人物で自分が好きな人は誰もいません。
みんな自分が嫌い。
シンジも、もちろんゲンドウも。
「寝ても覚めても 少年マンガ夢見てばっか」もそうですね。
少年漫画の主人公とは程遠い性格なように見えて、実はそういう主人公のように明るくカッコよくなりたいと誰よりも強く思っている。
大嫌いな自分を変えたいと思っている。
シンジの代名詞のようなこの心境ですが「ただ ユイの側にいることで自分を変えたかった」というゲンドウのセリフを聴いた後だと、実はゲンドウも少年時代からずっと同じように感じていたんじゃないかなって気がします。
「何が欲しいか 分からなくて ただ欲しがって
ぬるい涙が頬を伝う」
この部分、ものすごく思春期っぽくて好きです。
何が欲しいのかはハッキリ分からないけど、常に何かが足りない。
分からないまま欲しがって、もがいて苦しんで涙する。
「思春期」を凝縮したような2行です。
そして、筆者がこの曲で一番好きなのが次のフレーズ。
「言いたいことなんか無い
ただもう一度会いたい
言いたいこと言えない
根性無しかもしれない
それでいいけど」
「もし、もう二度と会えないはずだった人と再会できたら、まず何て声を掛ける?」
そう質問されたら、皆さんならどう答えるでしょうか。
筆者は、多分何も言えないと思います。
言いたいことなんてありすぎて、何から言っていいのか分からない。
どんな顔して会っていいのか分からない。
何も言えないまま、下を向いてただ泣いてるだけかもしれない。
それでもいい。
ただの根性無しかもしれないけど、それで構わない。
もう一度だけ会えるなら・・・。
コーラス②
そのフレーズに続けてだと、このコーラスがより切ないですね・・・。
このコーラスの歌詞、エヴァの色々な登場人物に当てはまるフレーズだなと改めて感じます。
綾波を失った後のシンジ。
シンジに対してのカヲル。
カヲルを失った後のシンジ。
ユイさんを失った後のゲンドウ。
加持さんを失った後のミサトさん。
エヴァという作品の根底にあるキーワード「喪失感」を見事に掬い取った歌詞だと思います。
ヴァース②
「どんなことでも
やってみて 損をしたって
少し経験値上がる」
ここはシンジっぽい印象を受けますね。
ポジティブな時のシンジとか、ネガティブになっているシンジへの励ましの言葉にも聴こえます。
「新聞なんかいらない
肝心なことが載ってない」
ここも好きです。
自分が本当に伝えたいのは、新聞に書いてあるような小難しい事じゃない。
「好き」とか「会いたい」とか、もっと単純なことを伝えたい。
でも、その一言が中々言えない。
これもエヴァっぽいですよね。
アスカとかミサトさんとか、みんなそんな感じです。
「最近調子どうだい?
元気にしてるなら
別にいいけど」
意地っ張りですね。
本当は会いたくてしょうがなくて、「別にいいけど」なんて軽く思ってるはずないのに。
これも凄いアスカとかミサトさんっぽい。
シンジに対するアスカの接し方とか、ミサトさんの加持さんへの接し方とかまさにこれですし、この曲を書いた当時の宇多田さんが知る由もないシンエヴァでのミサトさんの息子への接し方にも当てはまってしまいます。
コーラス③
「僕の世界消えるまで会えぬなら
君の側で眠らせて どんな場所でも結構」
繰り返しになってしまいますが、ゲンドウの心情を感じてしまいます。
凄い人類補完計画っぽさがあるというか。
そして、最後の締め方がとても綺麗だなと思います。
「Beautiful world
儚く過ぎて行く日々の中で
Beautiful boy
気分のムラは仕方ないね」
儚く過ぎて行く美しい世界の日々の中で、気分にムラがあって上手く行かなくても焦るなよ、少年。
作中でも色んな人がシンジに助言しているのと同じ内容。
なんていうか、やはり特定の誰かというよりエヴァンゲリオンという作品全体のイメージを上手く1曲にまとめている感じがします。
かつ、エヴァを全く知らない人が聴いてもちゃんと成り立つ普遍的な詩になっている。
シンエヴァでエンドロールの最後を、そしてエヴァンゲリオンという作品の終わりを飾る曲として改めて使用されるのも納得の、まさにテーマソングのお手本のような曲です。
その上で、シンエヴァを観た後に改めて聴いてみるとゲンドウの心情に重なる部分が想像以上に多いように感じる、というのがこの記事で伝えたかったことでした。
あとがき
というわけで、今回の「Beautiful World」でヱヴァンゲリヲン新劇場版主題歌シリーズは完結となります。
筆者の人生でも特に思い入れの強い作品であるエヴァンゲリオン。
しかも歌っているのはこれまた思い入れの強い宇多田ヒカルさん。
この組み合わせで文字数が増えないわけがなかったですね・・・。
毎回体力を削り取られながら書いているような感覚でしたが、何とか3曲とも書き切れて満足感があります。
宇多田さんの曲を紹介する上で最初に書きたかったエヴァ3曲がようやく終わったので、次回以降はようやく好き勝手に宇多田さんの好きな曲を書いていけます。
エヴァ語りが強すぎた筆者の記事に共感して頂いた宇多田ファンがどれくらい居るか分かりませんが、宇多田ファンに楽しんで頂ける記事を次回以降書いていけたらいいなと思います。
では、以上となります。
ここまでお読み頂きありがとうございました。