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幼い私を大切にする話

なぜか素直に人を愛せない。
誰かの喜ばしいことに対して、もやもやを感じて素直に笑えない。
私って意地の悪い人間なのかな。

小さな失敗。
そんなに気にする必要はない。
些細な疑問。
すぐに誰かに聞けばいい。

なのに、すごく落ち込んだり、誰かに責められている気がする。
誰かの心で私のことがマイナス評価になっているかもしれない。
尋ねることが怖い。
こんなことも分からないの、と言われそう。
大切なその人の時間を、私が浪費してしまうんじゃないかな。

だから私はダメなんだ。

子供の時から、世界はすごく生き辛かった。
ゲームのHPのように、どんどん行動によって、自分の生きててもいい価値が、減っていく世界のように感じていた。

誰かと出会っても、誰かとコミュニケーションをしても、いつか嫌われる前提の世界だった。

だって、パパもママも私のことなんて、愛してくれてないもんね。

いい子にしていれば、友達より優れていれば、それで初めて認められる。
それが、私の命なんだ。

何もできない、小さな失敗をするような私は、認められない。
大きな失敗をしたなら、殴られても、死ねと言われても、それを受け入れないといけない。
逃げたら終わり。
逃げ道はないけど。
ああ、小さな失敗でも、親の機嫌が悪ければ、顔を叩かれ、お腹を蹴られ、宝物は壊され、髪を引っ張り回されても、仕方ない。

死ねばいいのに、この窓から飛び降りれない私はなんて弱いんだろう。
ダメダメだ。

そんな苦しみの中で、4歳?5歳?とにかく記憶がある幼い私はずっと生きている。

その子は、大人になった私には、少し甘えてわがままを言える。

誰かをすごいなと思った時。
誰かが幸せな時。
祝福の気持ちを感じる大人の私に、
幼い子どもは、私のことを見てほしいと、しくしくと泣いているのだ。

なんで幸せな人のことを見ているの?
私はずっと、ずっとここで、がんばって、歯を食いしばって苦しくても笑おうとしているのに、
どうして私は、他の人におめでとうって言っているの?

あのね、今、失敗したよね。
私知っているよ。
失敗したら、ママは私のこと何もできないって言うの。なんで生まれたの?って私が生きている意味ないって言うんだよ。
だからね、私の失敗を誰かが知ったら、その人になんで生きてるんだろうなぁって思われるんだよ。
なんでこのクラスにいるの?
なんでこの会社にいるの?
ほんと、殺したいって言われるんだよ。
私知ってるの。
今の私に生きる価値なんてないの。
みんなお外だから私に言わないし、殴らないだけで、本当はそう思ってるんだよ。

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大人になったからわかる。
みんな私の親みたいな人ばかりじゃないよ。
ほとんどの人が、そんなこと思っていないし、言わないよ。

分かっている。

でも、生まれてから命や存在が軽んじられる地獄にいると、明るい世界に来ても、信じられなくて戸惑うばかりだ。

幼い私は、いつも自分ではなく、親つまりは自分以外の他人を第一に考え、その人の望む子どもでいようと努力していた。
自分でも自分を軽んじて、他人の下に自分を置くのが当たり前になっていた。
でも、心のどこかで、ただ何でもない自分を認めてほしいと思っていた。ただ生きているだけでいいよって言って欲しかった。
同時に自分が抱くには、差し出がましい欲望だと思っていた。

あるがままでいい、というのは望んでも手に入らない遠い遠いものだった。

大した問題にならない些細なミスなら、気をつけて、で終わる。
でも幼い私はもっと責められるはずだと思っているから、他人の代わりに、自分を追い込み責め立てる。

今、ここで言語化してみたけれど、実際に感じていることは、言葉になっておらず、重苦しい、心の痛みや気持ちがどんどん沈み込んでいくといった、感覚的なものだ。

でもふと、その感覚は、今の私ではなく、幼い時の私の気持ちじゃないかと思うとしっくりといった。
そして、そんな気持ちになるのも仕方がない世界だったと受け入れた。
でも、私はその子よりも長く生き、ちょっと客観的に見ることもできる、本で知識も得た大人になったので、教えてあげることにした。

大人になった私は、他人のことも、幼い私のことも両方見て、寄り添い、幸せになってほしいと願うことができるぐらいに、成長したよ、と。
そして約束をした。
あなたが自分を大切にできないのなら、大人の私があなたを一番に考えよう。
他人を優先しているように見えても、心はいつもあなたが一番だと証明し続けよう。

半信半疑の子どもも、少しは信じてみる気になったみたい。
泣きたい悲しい、ネガティブな感情も、失敗じゃないから素直に出していいと分かってきたようで、一緒に泣こうよと出てきてくれるようになってきた。

完璧にありのままの自分を愛することや、自分のなかに安全地帯を作ることはまだできていないかもしれない。
だけど、幼い私といっしょに泣いて、最後に少しスッキリしたねと微笑むことはできるようになってきたのだった。

書くことも癒し。
いつかの私とどこかの誰かの小さな光になりますように。


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どい・まーめ
ありがとうございます。