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それでもさえずる小鳥たちの青い森
新小平の“Holy garden”と呼ばれるその場所は、さまざまな植物が夢をみるように深く植えられたお庭を臨んだ、とんがり屋根の建物のしたでお花やさんとお菓子やさんとご本やさんのみっつのお店がそれぞれに営まれている、ひとつの祈りにも似た“聖なる庭”です。
その“Holy garden”のお花やさんであるコトリ花店さんで「それでも小鳥たちは森でさえずる」という美しい名が捧げられた展示に先週の土曜日におうかがいすることができました。
コトリ花店さんでは季節ごと“Holy garden”を愛する、絵や写真や装飾品や音楽や言葉によってご自身の“サンクチュアリ”をかたちにするかたたちが交換日記でもするみたいに、花から花を手渡すように展示がひらかれていて、このところの世のなかの事情もあり春からはしばらくこれまでとはおなじようにひらかれることがむつかしかったその扉が、2日間だけふたたびひらかれる、ということでおうかがいできたのです。
「それでも小鳥たちは森でさえずる」
それがリスタートに捧げられた名。篠田夕加里さんと山下美千代さんのふたり展。
このたびの“Holy garden”への訪問は、わたしにとって“青”を探す旅ともなりました。
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Blue momentの青。
夜明けまえと夕焼けあとの一瞬の時間に、世界を満たす光の青。青の懐かしさのなかに凛とした花や儚い詩が宿るような篠田夕加里さんの絵をお迎えすることができました。この青と白い花の女の子、太陽の粉みたいに散らされた金色が光の加減で妖精の鱗粉みたいに輝くこと、すべてがBlue momentの魔法みたいで、心惹かれてやまなかった。
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アネモネのテーブルの青。
melancolia storytellingさんのお写真にコトリ花店さんの言葉が記された青いご本。頁をひらくとあの空間のにおいがいっぱいにひろがるこのちいさな本に、“緑の王国”のリボンをかけていただく。
ごく個人的なことですが、去年からグリーンの色のリボンがたびたびわたしのもとにやってきてくれているような気がして、翠色、深藍色、蒼色、柳染のそれらはすべて、花にまつわるものに結ばれて届けてもらったこと。スモークツリーのちいさなブーケと菫の聖女、差しだされた手のサンザシの枝、夏至の花束、そしてこの青い花のご本。そのリボンたちは“緑の王国”へのしるべとしてやってきてくれたのかしらと、ふとこの『アネモネのテーブル』にかけていただいたリボンを眺めながら感じたのでした。
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わたしは生きてるさくらんぼの青。
“Holy garden”のご本やさん草舟あんとす号さんにお頼みしていた『わたしは生きているさくらんぼ』もこの日にお迎えでき、その夜ひらいて遭遇した青。大好きなバーバラ・クーニーの絵本。復刊されていたと知り嬉しくて、いまあらためて手もとにきていただきたくて。
太陽は毎朝生まれ変わっている。昨日は今日のつづきではなく、だから“わたし”も今日というこの日になんにだってなれる。昨日が何色だったとしても、今日の“わたし”が青になりたいのなら、“わたしは、青なの。”――さくらんぼみたいに瑞々しくて可憐でなにも纏わない自由を自分自身にあたえてあげるこの女の子が大好き。
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青い鳥とふたつの卵。
夕加里さんが作品に添えてくださったことづてに描かれたリボンと花冠のみつあみの女の子。いまアンティークの額縁を使ってお部屋に祭壇みたいなちいさな小物置き場のスペースをつくろうと思っているのだけど、この子がそのなかにぴったりおさまったので、護り手をおまかせすることに。額縁のうえにいつかやはりコトリ花店さんでお迎えしたtegamiyaさんの鳥の巣カードさんを戴いて“それでも小鳥たちは森でさえずる”の小鳥の祝福をわたしの部屋にも。紫陽花の花びらの羽をもつ青い鳥、青いふたつの卵。
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青い森。
“それでも小鳥たちは森でさえずる”のために、森の色をしたワンピースを着てバスケットを片手にお出かけしたのだけど、まったくおなじことを考えておなじようにそれらを身に纏った“女の子”と遭遇し、その“女の子”の籠のなかにおさめられた素敵な瓶を眺めながら、まるで黄金の昼下がりにむかうまえのアリスみたいなひとだ、などと思っていた。
その“女の子”にシャルル・クロスの『小唄』の話をして、“かの女は森の花ざかりに死んでいつた、かの女は余所にもつと青い森があると知つてゐた”というあの詩のように、何度でも生まれ変わって自分のなかのもっとも青い森をお互いに見つけていけますように、といったこと。
そしてグリーンのリボンの“緑の王国”もそうだけど、やはり去年から青という色になにか呼応するものを感じている自分をあらためて発見したのも、今回の“旅”の大切なおみやげでした。
いつか青は永遠の色だとひとに話したことがあって、世界がそのはじまりから空も海も青色だったとして、それがいまもつづいているのだとしたら、青は永遠の色であるような気がわたしにはする、と。
赤い花が情熱なら、青い花は懐かしさ、ともまた誰かにいったことがある。どのような関係も情熱だけではうまくいかない。永く遠くつづくためには、そこに懐かしさがなければ。赤い花と青い花のあいだに“約束”はあって、そのふたつの花を自身のなかに大切にもっていることが大事なことかもしれない、と。
いま、露草の色みたいな青い花をわたしはわたしのなかに育んでいるのかもしれなくて、それを護るためにさまざまな“青”が目に見えるものとしてわたしのもとにやってきてくれているのかもしれない、とそのようなことを青く儚い女の子の絵がやってきてくれた日、その子を見つめて考えながら、それはHolly gardenという場所のやさしさがその場所の力で幾重もの夢の繃帯をわたしの頭にほどこすようにかけてくれた小鳥のさえずりのような発見なのかもしれず、その子が“さえずり”とともにわたしのもとにやってきてくれて、それを教えてくれたのかもしれない、などと想像を巡らせていました。
青い森の声と物語の気配を纏ったものたち。出逢えてとても嬉しく、心の微睡みのための時間でした。
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