大阪北部地震のこと 1
2018年6月18日(月)朝。北大阪を中心に大きな地震がありました。
大阪府内の自宅は幸い大きな被害、損傷はなく、
ただし、家具やものはとりあえず?床に散乱していました。
建築士あるいは応急危険度判定士としての活動も含めて、
当時のメモを投稿させていただきます。
3月に東北の地震について投稿しましたが、
地元のみなさんとしては、もう忘れたい、先に進みたい、
という感じが強いのかもしれないと痛感しました。
しかし、災害の記録は誰かが残さねばならないし、むしろ当事者以外の人がその役に向いている、
とのご意見や報道記事もたいへん参考になりました。
様々な立場の方々がそれぞれの経験を記録に残して、
それを誰かに伝えていくことはやはり大事ではないかと思います。
ましてや大阪北部地震に関しては自分たちも当事者ですし、あまりにメディアや国に忘却されている感がある。
この機会に予定を変更して投稿させていただこうと思いました。
前置きが長くなりました。
noteでは、なるべく短文に絞り、時間のない方にもお読みいただきやすいよう気をつけているつもりですが、
地震など災害に関する記事は毎度非常に長くなりおそれいります。
*冒頭の写真は撮影と使用について、お家の方に了解を得ています。
----------以下、2018年 6月当時の手記----------
みなさんどうしているでしょうか。
私もなんとかやっています。
ご連絡くださったみなさん、ほんとうにありがとうございました。
●2018年6月18日(月)
地震当日。
7:58a.m. すごい地震。阪神(神戸)の時以来こわいと思った。
(報道によると、震度6弱、震源は高槻市)
家具転倒、ものがあっちこっちに散らばって足の踏み場なし。
窓外に木造住宅の屋根瓦がずれているものが数軒見える。
電気は大丈夫。水道は茶色く濁り、やがて断水。ガスも使えず。
固定電話はとんでもないところへ飛んでいたせいか使えず。
8:30a.m. 岩手県釜石市の建築士Kさんよりお電話。
「生きてますか?」「生きてます」
東北での地震の際、被災建築物応急危険度判定作業でご一緒したご縁。
心強く、ありがたいと思う。
高槻近辺の知人に連絡。固定電話は不通。
余震もあるし、他地域が揺れる可能性もあり。お互いに注意喚起。
救急車のサイレンとヘリの音がずっと続いている。
10:30a.m. 業務上の連絡と電話打合せ。待ったなしの件もある。
当日と翌日の業務予定は延期決定。
ほか、状況の確認など。連絡絶えず。
1:00p.m. 電車不通のため、歩いて出かけようと考えていたが、
移動距離の長さを考えて、故障中の自転車を修理して出かけることにする。
ヘリの騒音で町内放送が聞き取りにくい。
3:30p.m. 自転車屋へ戻る。タイヤ交換ができていた。
震源はもっと南らしいが、とりあえず高槻の中心市街地へ走る。
幹線道路は渋滞しており、田舎道を選んで進む。
市内中心を流れる芥川(淀川へ流入)両岸の集落では、
古い民家の屋根や壁に損傷が多い印象。完全に倒壊している民家もあった。
旧城下町や芥川宿など市街地の建物と人は被害が少ない印象。
ただしモノが散乱してご苦労が多い。それと水とガスのない不便。
日ごろお世話になっている町家や屋敷も見てまわる。
みなさんご無事だったが、建物には部分的に破損がある。
家の方がお気付きでなかったものもあり、お伝えする。
また自己負担で補修なさらねばならない。大変だ。
4:30p.m. 高槻市役所。通常窓口業務は休止。
国交省(近畿地方整備局)とメディア関係の人たちが多い。
市職員の方たちと少し話す。
いずれ応急危険度判定作業がはじまるのはまちがいないと思われる。
6:00p.m. 西隣の富田へ移動。知人と話す。
気になっていたお家の方とも再会してごあいさつ。
ご無事でよかった。
4年ぶりの自転車(坂と向い風のおまけ付き)で足がぱんぱん。
阪神と東北の地震を思い出さずにいられない一日だった。
火と水のいらない夕食を済ませてニュースを見る。
なかなか眠れない。
●6月19日(火)
余震はありますが、こちらは水やガスも戻りました。片付けもやっています。
電話も見つかりつながる。(正確には外れたケーブル端子が発掘された)
まだまだおかしなところはありますが、それでも日常に戻ろうとしている。
そんな中、応急危険度判定の要請がありました。
阪神も東北も正式な要請を受けずに自主的に行っていたので、
今回はじめて正式要請に応じる組織的な形での参加です。
まさか地元大阪府内で危険度判定をやるとは思わなかった、などとは決して言わない。
私たちは皆、そういうことも十分あり得ると思ってやってきた。
ただ、そういうことがないことを願ってきました。
それが今回、とうとう破られた。
視界に入る屋根の青(ブルーシート)が目に痛い。
避難所にいてはる方もいらっしゃるし、インフラが復旧していない地域もある。
まだまだ大変かと思いますが、みなさんも気をつけてがんばってください。
●6月21日(木)
被災建築物の応急危険度判定作業に参加。
茨木市に派遣されました。
9:10 a.m. 茨木市役所入り。
鳥取県や兵庫県からもたくさんの判定士のみなさんが駆けつけてくださっている。
10:20 a.m. ミーティングの後、二人一組で班を組み、各エリアへ移動。
私たちの班は役所から少し離れていたため自転車をお借りして移動する。
自転車は確か長野から提供されたものだったと思う。
10:50 a.m. 担当エリアへ到着。依頼のあった住宅の判定作業に入る。
移動中、まちの各所でガス復旧工事の現場に出会う。
業者の車を見ると横浜とか関東からの応援も多いことがわかる。
はやく復旧しようと必死だ。
他所からの応援の人が多く、工事関係者に道を聞かれたりもした。
12:00 p.m. 昼食。コンビニでおにぎりを買い、公民館グラウンドのベンチでいただく。
神戸の時は小学校の校舎で、岩手の時は川べりのベンチで、こうして食べたなと思い出す。
グラウンドの端になぜかD51(蒸気機関車)があった。
4:00 p.m. 茨木市役所へ戻り報告。
この日は5件(軒)を判定。構造は木造、鉄骨造、RC造の各種。建物種別は戸建て住宅と集合住宅。
主に外装材と建具廻りの欠損が多い印象。水路際の擁壁なども一部、地震で動いた形跡あり。
(現在の註記:当時は外部の目視作業中心だった。後に屋内に立ち入っての調査などを別途実施した結果、風呂場の破損が目立った。
浴室は壁の腰部と上部とで構造が変わるため、地震時の挙動の違いから被害が生じやすい)
移動中、瓦が落ち、土壁が崩れている古い住宅もよく見かけた。
7:10 p.m. 高槻の知人からご自宅の被害状況について連絡あり。来てほしいという。
危険度判定作業の取りまとめを行っている大阪府建築防災課耐震Gへ電話。
役所のみなさんも夜おそくまでがんばってはる。
高槻も被害の多いところなので、ぜひ、そちらへ向かってくださいとのこと。
翌日は予定を変更して、そのお宅に伺うことにした。
自分自身はこれまで「被災地」とか「被災者」という言葉は意識して使わないようにしてきた。
しかし、大阪府も私たちも、今はそうなったのだなと思った。
出会う人たち、話す人たちのお気遣いがありがたい。
●2018年6月22日(金)
昨夜連絡のあったお屋敷に伺うのは午後からをご希望。
午前中は気になっていたことを確認する。
11:15 a.m. 高槻市某保育所へ電話。外構のコンクリートブロック塀の状況について確認する。
以前、仕事で訪問した際に気になっていた保育所がいくつかあり、
役所に電話で聞いても状況が把握できなかったため、直接見に行こうと思った。
しかし、距離が離れているため、文明の利器(電話です)を使うことにした。
その保育所は学校と接しているため、すでに役所の方で対処済みとのこと。
(危険範囲への立ち入りを制限)
役所は学校の塀を早急に確認していることはわかっているが、保育所がどうなのか不明。
耐震補強や大規模改修など常に保育所は学校の後回しになりがちなので今回も気がかり。
特に現状で役所は学校の塀に注力しており、保育所が盲点たり得る。
(ちなみに学校と保育所は管轄も違う)
ほかに気になっていた保育所については、所長先生から至急連絡してくださるとのこと。
子どもたちが危険な塀に近付かないように、具体的にどこの塀か、どのように対処すべきかお伝えする。
高槻市の担当者に念のため電話報告。
大きなお世話でしょうが、役所も手一杯の状況下では、官とか民とか言わずに気付いた者が確認する、
ということもあってよいと思います。
1:00 p.m. 昨夜、ご連絡いただいたお屋敷へ。
まずお宅の前に行ってみておどろく。私は地震当日も駆けつけて、ここを外から見ている。
地震の当日にはなかった広範に及ぶ屋根瓦のずれや多数の外壁損傷、クラック(ひび割れ)が生じている。
伝統構法木造住宅(建築)は、壊れながら持ちこたえる、というのが持論です(表現がどうなのか)。
まさにそれを示すような状況。地震後に中も見せてほしいと申し出なかったことを反省。
とにかく、お家のみなさんが気になっていることを一通りお聞きする。
その上で、私自身も家の内外、足元、一部床下や小屋裏も見てまわって状況の調査。
概ね状況を把握。
地震直後と言うよりも、数日かけてじわじわと余震の影響も受けながら、破損が拡がったと推察。
4:45 p.m. 撤収。
6:30 p.m. 事務所に戻って、市役所に行政対応の情報を確認。
今日の調査結果(被害状況)を図面上にまとめる。
かつてお屋敷の実測図を作成した際、こういう時に役に立つと思っていたが、
ほんとうにそうなってしまった。
図中に朱書きするのに心が痛い。半分は勢いで刻むように朱を入れる。
12:00 a.m. 写真によりさらに状況を確認。
今回の被害状況から、今後の対策について方針を考える。
冷静に全体を見きわめる必要がある。
重要なポイントがどこなのか。急ぐのはどこなのか。
●6月23日(土)
このところボランティア作業続き。
仕事の段取りや状況整理を行う。いい加減実務に戻らねば、食べていけない。
(この点では完全無償で1週間従事した東北の時に厳しい状況を経験している)
そのあと自宅の片付けなど。
なんか部屋が少し狭くない?って思った、ら、家具が7~8cmこっちに動いていた。
仕事仲間と電話していて、「そっちも動いてるんちゃう?」って聞くと、
「ぅわ、ほんまや」ってなりました。みんな自宅そっちのけ。
まとまりないですが、このところの状況です。
お気遣いくださったみなさん、ありがとうございます。
私はなんとかやっていますので、ご安心ください。
----------以上、当時のメモより----------
公的に公開されているデータ的なことは述べず、
自分の行動範囲内だけのかなり局所的な話です。
もしかしたら誤認していることもあるのかもしれません。
しかし、こういった記録の積み重ねは決して無意味ではない気がします。
長い文をお読みくださりありがとうございました。
(多分、まだ続きます)
災害はまたやってきますが、みなさんもどうぞ気をつけて。
今大変だというみなさんも梅雨や夏が来ますが、どうぞご無事で。
それでは、また