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涙を拾って繋げる

 女の人の涙を見て、最初は戸惑うことばかりだった。
 綺麗な涙にも、後悔の涙にも、何かを怖がっている涙にも戸惑った。

 思いがけず、この仕事に導かれた。
 すぐに辞めるつもりでいたが、そうはいかない・・・。
 そう思うようになったのは、出会う問題が全て小説のように鮮やかであるから。
 私に何ができるのか、見えない存在に試されているような気にもなった。

 2024年4月1日施行の「困難な問題を抱える女性への支援に関する法律」や「DV防止法」をご存知だろうか。
 どういうわけか、それに関わる仕事をしている。

概要
2020年に日本国内で感染拡大した新型コロナウイルス感染症がもたらした経済や生活への影響で、女性の貧困問題などの問題が悪化し、DV、虐待、性犯罪被害、女性の自殺、シングルマザーの失業などの問題が浮き彫りになった[4]。一方、こうした女性への支援は1956年に制定された売春防止法が根拠になっており、同法は売春を行うおそれのある女性を「要保護女子」と規定して、婦人保護施設への入所などの保護を行うものであった[1][2]。戦後間もない時代の価値観に基づき売春女性に対する威圧的[5]、懲罰的な要素が強く、当事者に寄り添った支援が不十分と指摘されていた。また、売春は知的障害者らがだまされて行ったり、生活困窮が招くケースも多く、これらを一律に「犯罪者扱い」する売春防止法が、女性を追い詰め生活再建を妨げているとの批判は根強かった[5]。さらに、家庭関係の破綻、DV被害、人身売買被害、ストーカー被害など、事業対象となる支援ニーズは売春以外に多様化していた。こうした問題に対処するため、与野党の女性議員が中心となって新法の条文を議論。第208回国会で参議院に議員立法で提出され、参議院、衆議院いずれも全会一致で可決、成立した[6][7]。新法では、売春防止法から女性の補導処分や保護更生に関する売春防止法の規定を削除し、さまざまな事情で問題を抱える女性を支援対象として明記した[2]。対象は「性的な被害、家庭の状況、地域社会との関係性などにより困難な問題を抱えた女性」と定め、国が支援に関する基本方針を示し、それに基づき都道府県が計画を策定することを義務付けた[1][2]。都道府県は包括的な援助に当たる「女性相談支援センター」の設置が義務付けられた。都道府県が作成する施策実施計画については、市町村にも推進する努力義務が定められた。地方自治体には、民間団体と協働した「困難を抱える女性」の発見や相談などの支援、民間団体への補助が規定された[8]。この法律に基づく国の基本方針は、2022年11月に厚生労働省の有識者会議が初開催されて審議が始まり[1]、パブリックコメントなどを経て、2023年3月29日に審議を終了、同日告示された[9]。法律の支援対象は「年齢、障害の有無、国籍等を問わない」と明記し、在留資格の有無で制限をかけたり、子どもや高齢者、障害者の女性を一律に支援対象から外さないようにした[10]。厚生労働省は同年4月1日、社会・援護局総務課に「女性支援室」を設置。法律の2024年の施行に向けて準備を進めた[10]。

ウィキペディア(Wikipedia)


 「どこに相談したらよいのか、わかりませんでした。」
 「ここへ来て、お話を聞いていただいて、
 私が悪いのではないと初めて知りました。」
 「私の言い分を、初めて理解してもらえた・・・。」

 そう言って泣く人の涙を拾って、繋げる先を考える仕事をしている。
 とても時間をかけて、閉じてしまった心を少しずつ開けていく。


 俳優は演じた人の数だけ、その人生を生きる感覚を味わうのだと聞いた。
 私は、相談に来られる方の人生を、いくつも映像で見せてもらっている気がしている。

 安全で、清潔で、温かい食べ物があるところをご案内しても、信じることができない人もいる。
 傷ついている人たちの涙は、とても重い。

 私が本当に味方かどうか、試されることもある。
 しかし、少しくらい嘘をつかれたって、その人間の本質を見る必要がある。
 人を信じることに疲れることもあるけれど、信じないよりずっといい。

 私にできるのは、ほんのちっぽけなお手伝いであることを承知で、日々、必要な知識を身につける努力を求められている。

「なぜ私たちでなくあなたが。あなたは代わってくださったのだ。代わって人としてあらゆるものを奪われ、地獄の責苦を悩みぬいてくださったのだ。」

神谷惠美子

 神谷惠美子さんがハンセン病の患者さんについて語った言葉を思い出すことがある。
「私だったかも知れないあなたの状況」を、注意深く聞いていく。
 「あなた」の涙を拾いながら、その人生に思いを馳せる。


 生まれた環境、世代間連鎖。
 その世界しか知らずに生きてきた人たちは、自分が悪くない時ですら「お前が悪い。」と殴られて、謝ってしまうことを繰り返している。
 妊娠を誰にも相談できず、死を考えてしまう若い人たちが、すぐ近くにいるというのに、今まで見えていなかった私がいたのだ。
 私の方が、世の中を知らなかったと言えるのだろう。

 危ない環境へ戻ってしまう人がいても、それは責められることではない。
 怖い思いをしたとしても、7度は暴力のある家に戻り、8度目くらいでやっと決心が着くのよ・・・と聞いたことがある。
 トー横に来てしまう若い女の子たちには、帰る家は「物質的」にはあるけれど、「心的」」にはない。
 家に帰れば、暴力が待っているのに、それを知らない大人がテレビでコメントしているのを見た。
 「なぜ、親が教えないんですかね。オーバードーズだってそうですよ。」と。
 世の中で起きていることを知らないということは、残酷でもある。
 今に始まったことではないけれど・・・。

 「新宿野戦病院」も「あんのこと」も、現実に日本で起きていることなのに。

 依存症から立ち直るためにダルクに入る母は、子を児相に置いていかねばならない。
 児童相談所も、今、たくさん作られている。
 経済的に恵まれていても幸せではない家庭がたくさんある現実もある。

 「私が昔、働いていたところには、虫歯だらけで破れた靴を履いている子もいたわ。代わりの靴を差し出しても、お母さんが買ってくれた靴だからって脱がないの。でも、都内には、歯の矯正をしながら綺麗な身なりで児相に保護されている子がいるのよね。」
と話してくれた先輩がいた。

 そして、子どもは強制的に保護できる場合があるが、大人は自分で決意しなければ支援に繋がらない。
 大人とは18歳以上。
 中身は、まだ成熟していない女性も含まれる。
 児童福祉法との境目も難しい。


 なぜ、私がこの仕事についているのかは、「偶然」としか言いようがない。
 デザインの仕事をしていたが、体を壊してしばらく休養していた。
 描くことが好きで、美しいものが好きで、仕事では綺麗な「線」を追い求めていた。

 その後、しばらくして導かれたのだった。
 綺麗な「線」で解決できることばかりではない世の中を、しっかりとその目で見ろ!と言われた気がした。
 一筋縄ではいかない現実や、光と影を。
 カウンセリングの資格はあるが、福祉とは程遠い世界にいた。
 正直、仕事内容はよくわからなかったが、興味を持った。
 自分の心が折れずに、いつまで続けられるのか、今のところわからない。
 たぶん、いつかは元々の美術の仕事に近いところに戻るのだろう。

 美大で絵を描いていて、その後に絵画療法を学んだおかげで、言葉から状況がありありと想像できる感覚的な強みはあった。
 肌感覚というのだろうか。
 痛みや怖さを、感覚で理解できるかどうかなら自信がある。
 生成AIでは、まだ出来ないことなんじゃないかな。



 反対に、私の隣でペアを組んでいた方はDVサバイバーである。
 経験値こそ、彼女の強みである。
 人生の最後には、かつての自分と同じ思いをしている女性のために働きたかったという、福祉のエキスパートである。

 だから、彼女は怒っている。
 全てのことが遅いのだ、と。
 戒能民江先生の講義を受けて、益々。
 若草プロジェクト他の支援が世に認められてほしい、もっともっと、と。
 長い間かかって法律の改正が行われても、まだ、周知には時間がかかっている気がしている。
 必要とされながら、大事に扱われていない業種でもある。
 ここに目を向けない自治体は、すでに遅れをとっていると言っていいと思う。


 私は今、仕事で「生きる」ことを教えていただいている。
 特に、女性の涙を見て、女性として生まれたことで被る数々の不利について。
 朝晩、掛け持ちで違う仕事をして、子どものために病院にも行かずに働くひとり親の方に会うと、涙が出そうになる。
 しかし、私は泣いてはいけない。

 話を聞く。
 境界線を持って。
 決してマイナスに引っ張られないように。

 私には、ささやかな力しかなかったとしても、今は聞いた話を整理することに集中する。
 涙を拾って、新しい人生に繋げられればいいのだけれど。

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LUNA.N.
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。