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負癖を手放す

コロナ禍で「人工呼吸器」という言葉が出てきたときに、
私が心の深くに封印したものが浮上してきてしまった。

まだ、10代だった私が、母と共に父の人工呼吸器を止める選択をした。
そこで、「負けた」と思ったのだ。正確には、無力感と言うのかも知れない。

その後、母が倒れて、今度こそは親の命を救うのだ、と私は全力で立ち向かった。
仕事はのってきたところで、誰もがこれからなのに・・・と言ってくれた。それでも、全力で命を繋ごうと信じて辞めた。だが、母は意識を取り戻すことはなく、
私は、「また負けた」と思った。正確には、自分の出来ることはやり切ったが、
助けることができなかったという後悔。
何もなくなってしまった空虚感。

今なら、生きるか死ぬかということに私の力が及ぶわけもなく、どうすることもできないことがわかる。命のことに、勝つも負けるもない。
しかし、私には「全力でやっても負けてしまうなら、戦いたくない。」
という思考が根付いてしまった。

医療関係の方やその他、それが日常に何度も繰り返される方もおられることだろう。「救える命」「救えたはずの命」のために、危険を顧みずに戦う人を、私は尊敬する。

私は、勇気を出せなくなった。
連敗を乗り越えられなくて、勇気が萎んでしまった。
「もう、嫌だ。」
としばらく泣いているうちに、勇気が固まってしまい、
負癖のようになってしまったのだ。

スポーツコーチングを受けたいくらい、勝つメンタルが持てなくなった。
勝つために用意されたメンタルの調整が、私には必要なのかも知れない。
それは、勝つためではなく、最初から気持ちで負けないために。
負けるのは悪いことではない。

もういい加減に「人工呼吸器」の呪縛は手放さなければいけないと思った。
自分のできる範囲を知るために目を開けて、最初から「負けるかも知れない」ものに恐れを持つのはやめよう。

負癖のようなものは手放したいと思った。






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LUNA.N.
書くこと、描くことを続けていきたいと思います。