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傾聴と「森のイスキア」

先日、アートセラピーのセッションで
「ごめんなさい・・・。」
と声を詰まらせた方がいた。

大切に育ててくれた年老いた両親に、今年はコロナの関係で会いにいくのをやめました。
でも、本当は会うだけでいいから・・・、
多分、会っても夫の病気のことは話せないのだけれど、
ただ、お母さんに温かく迎えてほしかったの。

今、みんなの前で明るくしているのは、本当の私ではありません。
居心地の悪さを感じているのです。

風景構成法の絵の真ん中に、大きなひまわりを描いていて、そのそばにとても疲れて下を向いたご自身の姿があった。
道に沿ってピンク色の花がたくさん咲いていた。

「みんなに愛を分けて差し上げているんですね。周りの方は、その元気に助けられているでしょう。でも、もしかしたら今、一番愛が欲しいのは、ご自身かもしれませんね・・・。」

絵から見えたことだけを言ってみた。
すると涙が溢れて、声が詰まった。

そのあとは、ただ、話を聴いた。
誰にも言えなかったのだ、と話してくれた。
明るい自分のイメージを崩せず、ひとりで泣いていると。
聴いてもらっただけで、スッとした、と言って涙を拭かれた。
居心地が悪い、とご本人が気づかれているように、ペルソナを演じ続けている。

まず、他人からの評価や、不安や悲しみという重荷をおろしてもらって・・・。

自分の悩みの解決法は自分の中にあり、自分が知っているはずなのだけれど、そこにたどり着くには、まず温かく安心できる場所で荷物をおろす必要があるように思う。

以前、記事にした佐藤初女さんの『森のイスキア』に、昔から憧れていた。

『いまを生きる言葉「森のイスキア」より』
という本は、初版が2002年11月に出ていて、私は入院中の母のベッドの横で読んでいた。


病院で4年半昏睡状態であった母を、くる日もくる日も傍で看ていた経験が、長い時間熟成されて共感という部分を育ててくれたのだとしたら、話を聴くこの仕事に辿り着いたことも偶然ではないのかも知れない。
そんなことを考えながら、鏡で自分の顔を見る。

あの頃、心から初女さんのおむすびを食べてみたいと思っていた。
私も、何も言わずに食べて泣いたのではないか。

何かになろうとしなくても、それはすでに自分の中にあるものです。

新聞記者をしていた父は、取材先の事故ですでに他界していた。
これから発展が望めた好きだったデザインの仕事を、辞めなければならなかった。
もう、何にもなれないのではないか、という焦りに支配されていた。
自分の頑張りだけではどうにもならないことが、人生には起こる。
そんな時に、初女さんのこの言葉を何度もくり返し唱えた。


おむすびを教えるためにアメリカやシンガポールにまで行かれた初女さん。
ただ、おむすびで人を癒すことができる、という言葉。

忙しくしていたある日、娘が
「ねぇ、初女さんのおむすびみたいに丸くして。」
と言ったことがある。
東京生まれの私のおむすびは、関東風の三角形だ。

初女さんのおむすびは円盤形。
上記の記事に載せた、おむすびの作り方の映像を復習した。
ひとつひとつを大切に、心を込めて。
初女さんが海苔を扱う丁寧な所作も、私の中にないものだ。
私がせかせか作る三角おむすびは、魅力のないものに思えた。
娘も小さい頃に見せた映像で、本気で初女さんのおむすびに憧れていた。
形ではなく、おむすびに込める気持ちの問題を娘に言われたような気がした。

「ごはんが呼吸できるように」握られた初女さんのやさしいおむすびは、ラップではなくてタオルにくるまれる。
赤ん坊のように。

死にたいくらいの気持ちを抱えて訪れたイスキアで、何も言わずに話を聞いてくれる人がいたことで、どれだけの命が救われただろうか。
愛は与えるだけ湧いてくるというけれど、与えすぎて自分が空っぽになってしまう前に、自分の大切さを思い出させてくれる場所が必要だ。

再度、初女さんの言葉を思い出す。

透明になって真実に生きていれば、それがいつか必ず真実となってあらわれます。
だから、私たちに今できることは、ただ精一杯、毎日を真面目にていねいに生きていく、これだけだと思うのです。

「透明になる」という言葉が好きだ。
丁寧に生きていると、思いがけず導かれる場所があるのかも知れない。





書くこと、描くことを続けていきたいと思います。