ジョージア・オキーフの家
会ってお話を伺いたい方に直接会えなくなる日が続くことは、今年初めには想像もできなかった。
学生の頃からお世話になっている方に、楽しい近況を伺いながらご馳走になり、また近々・・・と思っていながら随分経ってしまった。
「今、古い鍾馗(しょうき)に興味があってね。」
鍾馗は道教系の神様で、魔除の効験があり屋根の上に像を載せたりするのだそうだ。
道教についてはとても興味があるのだが、鍾馗のことは全く知らず、いろいろ質問して教えていただいた。
お酒が入ると話も弾んでくる。
「それとね、シダ科の植物を増やしているんだよ。こんなに垂れ下がってる。」
両手を縦に随分広げて、そして、夢の島熱帯植物館の話へ。
見せていただいた写真は、シダだだけれどもシダでないような・・・ジョージア・オキーフの描く植物の葉を思い起こさせた。
その時『!』
家でよく見ていた、ジョージア・オキーフの家の写真集何冊かが浮かんだ。
屋根の辺りに取り付けられた牛の頭蓋骨。
屋根に何か載せたりつけたりするのは、おまじないみたいだな。
そしてその日、そのことは黙っていた。
私の楽しみのひとつ、プレゼント探し。
美味しいお料理とお酒、楽しい時間のお礼に、その日のお話の中からヒントを得たものを探してお贈りすることにしている。
「ジョージア・オキーフとふたつの家 ゴーストランチとアビキュー」
この本の中に、屋根の辺りにつけられた牛骨があったはずだ。
オキーフの大切なモチーフである牛の頭蓋骨。
鍾馗様も屋根の上。
ちょうどクリスマスの前で、メッセージに選んだ経緯を書いてお贈りしてみた。
とても喜んでくださった。
乾いた空気感も好きなものだと。
(発売から時間が経ち、アマゾンの値段が高くなっていて驚いた・・・)
外が見渡せる広い窓のあるアトリエ。
その向こうには乾いた景色が広がっている。
「オキーフの家」という写真集も魅力的で、長く大切にしている。
生活そのものが、暮らしの全てが、ジョージア・オキーフなのだなと改めて思う。
意思の強さが貫かれた美しい顔は、年齢を重ねるほど魅力的だ。
写真家スティーグリッツとの関係についての本も出ている。
最近、べランピングの話を友人としていて、
どんな雰囲気にまとめたい?と聞かれて、
オキーフの家みたいな感じかな、と答えていた。
日本人のベランダだけれどね!ハハハ・・・とお互いに笑った。
「わかった。そのベランダからZoomで乾杯しよう。」
私が夕方、そこで読みたい絵本は、
「私、ジョージア」。
ジョージア・オキーフという人を知っていますか、その人の絵を、そして生き方を?花、骨、摩天楼、砂漠、丘、そして、空。澄みきったまなざしで世界を見つめつづけて、「もっとも純粋で、もっとも真実な」といわれる数々の傑作をのこした女性の画家ジョージア・オキーフは、いつも静かな微笑をたやさず、生涯のほとんどをニューメキシコの荒野ですごして、98歳まで生きた。どんなときにも「ほんとうに生きている」と感じられるような生き方をもとめて、じぶんをゆずらなかったジョージア・オキーフの肖像を、色彩のよろこびをとおして鮮やかにつたえる、まったく新しい絵本の伝記。