住所の魔法(コスタリカ種蒔日記)
「サンホセ パバス地区 ロルモセール オスカル・アリアスの家から北に400m、西に50m 左手にあるグレーのアパートの2番目」
これは、私がサンホセで新しく住むことになった家の住所。ペレス・セレドンで大騒
ぎして探してもらった、ウェンディの友達の息子がいる例のシェアハウスだ。
え、これが住所なの?と首を傾げた人もいるかもしれない。私も初めてこの住所が書
かれた書類を見たときは、「これほんとに正式な書類?」と不安になったものだ。前
半はどうやら地名の羅列だからいいとして、なにしろ後半がおかしい。これじゃ、住所と
いうよりただの道案内だ。
でも、コスタリカの住所はこうなのだ。まず、大まかな地名が3つぐらい頭に来る。サンホセの場合だと、東西に伸びる大通り(アヴ
ェニーダ)と、南北に伸びる小さな通り(カジェ)によって、町全体が碁盤の目のよ
うに区切られているので、その番号が使われることも多い。だがその後続くのは、「●●スーパ
ーから東に100メートル、白い家の前」とか、「●●パン屋さんの北200メートル、赤
い門と白い壁の家」といった文言だ。
私の家の住所に入っている「オスカル・アリアスの家」とは、コスタリカの元大統領
宅のことだ。オスカル・アリアスは、コスタリカの歴史をかじれば必ず名前が出てく
る有名な人。中米紛争を調停した功績で、1987年にノーベル平和賞をもらっている。
いくら元大統領とはいえ、個人の家を住所にしていいのかとハウスメイトに聴いたら
、「そこなら誰でも知ってるからね」という答えが返ってきた。
昔からその地域に住んでいる人たちは、こういう住所だけで目的の場所にたどりつく
。タクシーも、この住所をカーナビに入れて目的地まで連れて行ってくれる。そのた
びに、「よく着いたなあ」と私は感心してしまう。
でも、よそから来た人にとってこれは指南の技だ。たとえグーグルマップで近くまで
は行けても、決定打となる目印を見つけられず、その辺をぐるぐるしてしまう。
だって、白かった家が黄色に塗られることだってあるのだ。パン屋がつぶれることも
ある。人から聞いた話では、田舎の方で大きなマンゴの木を目印にしていたところ、
その木が切られてしまい、「木の名残(アルボル・アンティグオ)」という住所に変わ
ったとか。そんなの、見つけられっ子ない。お手上げだ。
だからどこかへ行きたいと思ったら、みんな道ばたで片っぱしから人を捕まえて尋ね
てまわる。聴かれた方も、特に構えない。外を歩くことは好きだけど、道を覚えるの
が苦手で、スマホのアプリも今一つ使いこなせていない私にとって、この「道を聴く
のが当たり前」な文化はありがたかった。
もちろん、「今はちょっと人としゃべる気分じゃないんだよなあ」と、家を出るのを
ためらうときもある。でもいったん出てしまえば、人と交わした会話の数だけエピソ
ードが増えて、ちょっとしたお出かけでも濃い思い出になる。この変てこな住所の魔
法だ。
ちなみに、私はことあるごとに「オスカル・アリアスとご近所さんなんだよ」と自慢
していたのだが、なぜかみんなの反応が予想と違う。苦笑されたり、「気をつけて」
と言われたりするのだ。よくよく話を聴いてみると、ちょうどその頃10人以上の女性
からセクハラで訴えられていた。これも、この変てこな住所から生まれたストーリー
の一つだ。