おばあちゃんしにそう_2

こんなに乗り気じゃない帰省は初めてだった。祖父が入院したことはあったけど、それは補聴器を体内に埋め込む手術のためで、よりよい未来を得るためだった。今回はそうじゃない。

病院は大きくて、綺麗だった。入る前から薬品独特の清潔な匂いがして、ちょっとテンションがあがる。妙に緊張しているせいで、しょうもないことにはしゃいでしまう。
壁も白、手すりも白、天井も白、ICUの部屋に続く廊下はどこまでも真っ白だった。母が面会の手続きをしている間、祖父と一緒にベンチに座って、スマホをいじる。祖父が面白そうに画面を覗いてくるので、一緒にインスタを見て時間を潰した。

やがて名前が呼ばれ、入室禁止の看板がおりているドアが開く。広い廊下を進んだ先、見えたのは博物館にあるような立派な台座に寝かされたミイラ達。
と思ったらそれはベッドの上のおばあちゃんだった。口を開けて寝ている(と思われる)祖母は、白いベッドの上で皺がいっそう深く細く目立っていた。こんなにしわしわだったっけ。今年のゴールデンウィークに親戚と集まったときの様子を思い出そうとしても、出てくるのは私が小学生の頃の、グレイッシュヘアで、食卓で笑う祖母の姿ばかりで混乱した。

母が遠慮がちに祖母の肩を揺らす。起きなかったらどうしようと、視界の端に入りこんだ心電図を意識せずにはいられない。そういうことを考えるだけの少しの間があって、祖母は目を覚ました。
ぼんやりとした顔で、母を見て「おお」、私を見て「おお」と言った。私を見て「ちひろか」と笑ういつものおばあちゃんの姿が心の中で揺らいだ。わかってる。祖母と対面している間ずっと笑顔をたやさずにいたつもりだったが、今思えばただ必死に目尻に皺を寄せていただけだった気がする。マスク着用の義務にこれほど助けられたことはなかった。

いくつかの連絡事項を母が説明している間、私は祖母が繋がれている機械や点滴を目で読み上げているふりをした。祖母のどこに視線を向ければよいかわからなかった。

「寒いんか?」すっぽり首の下まで布団に包まった祖母に母が訊くと「暑いんか寒いんかようわからんのや」といい、続けて「もうあかんねやろな」と呟いた。思わず私は母を見た。母は聞こえなかったのか聞き流したのか、その言葉を無視して別の説明を始めた。命の瀬戸際にいる母にそんなことを言われる娘の心情を、私は考えずにはいられなかった。

ICUへの入室は二人までなので、母が祖父を呼びに行く間、祖母と二人きりになった。なんて声をかければよいかわからず沈黙が続いたのち、祖母が言った。「終わり方がむつかしんや」。明るい声だった。「90まで生きたらっておもてたんや」「昨日お月さんもみたし、もう思い残すことなんかなんもあらへん」「ただ、終わり方がな、うまいこといかんな」その語尾は、祖父がカーテンを開いて入ってくると同時にしぼんでいった。
おばあちゃんにはもう回復したい気持ちはないのかもしれない。せめて家で死ぬほうが祖母の幸せだと思っていたが、それは私の勝手な思い込みなのかもしれない。窓の外に興味があるふりをして、私は二人に背を向けて涙を拭った。

祖父は祖母に顔を近づけ、一生懸命に連絡事項の説明をしている。さきほどの母の説明と同じ内容に、祖母はうんうん頷いていた。祖父に頭を撫でられながら、病院食がまずいとか、そんな愚痴をこぼしている。見たことのない光景に、私はやっとゴールデンウィークの祖母の姿を思い出した。夕食後、いとこからもらったアイスのお土産を食べようとする祖母に、祖父が体調を気遣って「明日にしたら」と諭していた時。祖母は頑なに「今食べる」と子供のように蓋をあけた。あのときの、おじいちゃんの困ったような笑顔と優しい視線。

祖父は「お寿司が食べたい」と祖母に言われて、横顔しかみえなかったけれど、この日一番の笑顔になった。私はこのとき、二人は夫婦なんだと初めて意識した。長く人生を共にしてきた二人の姿は、とても尊いものに映った。そんなふうに孫から思われてるなんて、二人とも露ほども思っていないだろう。

ICUを出てエレベーターに乗るまでのなんてことない距離がものすごく長く感じるほど、母と祖父の沈黙は堪えた。耐えきれず、「おばあちゃん、思ってたより元気やったわ」と今までの人生の中で1番声を振り絞った。母がやっと嬉しそうに「せやろ」と言い、祖父が「1日おきに様子ちゃうからな、今日は大人しかったな」と笑った。どちらの顔も見れなかった。外に出てもマスクは外せなかった。

おばあちゃんは長く生きている。私だって90まで生きたいとは思わない。おばあちゃんは別に病気じゃなくたって、近いうちに死ぬ。私より先に死ぬ。おじいちゃんだって、お母さんだって、それは当たり前のことなのに、こんなにも受け入れられないのは、何故なのか。


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