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【小説】やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった #12

 十二月の初め、涼子が風呂に入っている時に母から電話があった。暮れに、実家に帰ってくるのを楽しみにしているということだった。私は年末の二十八日から休みになるから二十九日には余市に帰れるだろうと言ったが、受話器を置いてからちょっと不安になった。

 涼子が初めて私の実家に泊まるのだ。

 実家はりんご園を営む農家で、しかも古い家風なので、涼子は長男の嫁として家事から掃除まで、いわゆる「女の仕事」をさせられるだろう。隣近所にも年始の挨拶に行かねばならない。涼子の苦手なことばかりで、会う人にきちんと挨拶ができるだろうか、急に癇癪を起こして大声を出さないだろうか、私はそんなことまで心配になってきた。外面がいいと言っても、涼子は我慢の限界を越えると、相手が誰であろうと噛みつく性格があるのだ。私にむくれるのならまだしも両親に対し不貞腐れた態度をとったら、取り返しのつかないことになる。そんなことが頭をよぎり、実家で羽を伸ばしたいという気持ちもいっぺんに重たくなってきた。

「電話があったみたいだけど、誰から?」

 風呂から出てきた涼子は、ターバンのようにタオルを頭に巻き、パイル地の白いバスローブを纏っていた。

「おふくろから」

「ふうん、あっ、そう」

 涼子は別に関心を示さず、冷蔵庫の扉を開け、缶ビールを出した。

「何ボケッとしてんのォ! 早く入んなさいよォ!」

 私にひと怒鳴りしながら栓を抜くと、涼子は喉の音を立て、ビールを飲んだ。

「・・・涼ちゃん」

「うん?」

 私はあらたまって電話の内容を涼子に伝えた。すると、案の定、

「どうして私がァ、余市くんだりまで行かなきゃいけないのよォ!」

 涼子は尖った声を張り上げた。「田島さんて世間の常識を、なあんにも知らないのね。正月休みと言ったら、今は女の実家へ行くもんよ」

「お盆休みの時に泊まろうって言ったら、夏は暑いからいやだ、正月にしようって、涼ちゃん、言ってたじゃないか」

「そんなこと知らないわァ。そんなに親に会いたいんなら、田島さん一人で帰るといいんだわァ。ほんとに田島さんったら、マザコンなんだからァ」

「またそう言う」

「私は釧路に帰りますからね」

「頼むから」

「いやッ!」

「涼ちゃん、結婚してからさ、まだ一度しか僕の実家に行ってないんだよ。九月の初め頃に行ったっきりだ。それも一時間ちょっとで帰ろうって言うんだもの」

「あの時は田島さんのお母さんがお客さんの私にりんごの皮剥きをさせようとしたからよ。それで腹が立ったの。私そのこと、一生忘れないわァ」

「そう言わずに。結婚式に来れなかった近所の連中が、涼ちゃんに会うのを楽しみにしているんだよ」

「私は見せ物じゃないわ。田舎の近所づきあいなんて考えただけでも鳥肌が立つわ」

「ちょっとだけ我慢すればすむことじゃないか」

「私、我慢ができないのォ。それに私が行ったら、田島さんにも迷惑をかけそうだし」

「どうして?」

「田島さんのお母さんがまた何かをやらせようとしたら、私は一人ですぐに帰っちゃうと思うの。そうなったら田島さん、困るんじゃないの?」

「何もさせやしないから」

「無理よ、そんなこと。お父さんも厳しい人なんでしょう。私なんてすぐに嫌われるわ」

 涼子はそう言って頑として受けつけなかった。私もそれ以上涼子を説得できず、私が心配するも何も、正月は結局妻の実家で過ごすことになってしまったのだ。

 六畳間から着替えの下着とパジャマを持ってくると、

「田島さん、無理して釧路についてくることはないのよ。夫婦揃って一緒に行動しなくたっていいじゃない。田島さんも実家に帰った方がゆっくりできていいわ。正月くらい別々に過ごさない? そうしましょうよ。その方が新しいわ」

 私は悲しく首を振った。

「僕は古いタイプの人間なんだ」

 翌日、私は会社から実家に電話をし、暮れに帰れなくなったことを母に伝えた。その時程落胆した母の声はなかった。今は嫁の実家で年を越すものだと言っても、おそらく母には理解ができなかっただろう。

 私は次第に故郷が遠くなるのを感じた。姉が函館の方に嫁いでいるので、私も帰らないとなると、老いゆく両親がたった二人で年を越すことになる。そんな情景をまぶたに浮かべると、何だかこっちまで寂しくなってくるのだった。

【小説】やっと結婚できたと思ったら妻は家事をしない怒る女だった   #13へ続く


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