卑怯なコウモリ
昔々、獣の一族と鳥の一族がどちらが強いかで戦争をしていた。 その様子を見ていたずる賢い一羽のコウモリは、獣の一族が有利になると獣たちの前に姿を現し、「私は全身に毛が生えているから、獣の仲間です」と言った。鳥の一族が有利になると鳥たちの前に姿を現し、「私は羽があるから、鳥の仲間です」と言った。
その後、鳥と獣が和解したことで戦争が終わったが、幾度もの寝返りを繰り返し、双方にいい顔をしたコウモリは、鳥からも獣からも嫌われ仲間はずれにされてしまう。
「お前のような卑怯者は二度と出てくるな」と双方から追いやられて居場所のなくなったコウモリは、やがて暗い洞窟の中へ身を潜め、夜だけ飛んでくるようになった。
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小さい頃に読んで納得した好きな話。
自分への戒めを込めて。
両者が喧嘩をしている際に、味方につかなかった反対側からは必ず非難される訳で、喧嘩中に中に入って、どちらかの味方をしようなんて火に油を注ぐ様な行為。だけれど、今の国際社会としてこの話を見てみると、戦うAとBのどちらも敗者。だって本当は必要のない犠牲がお互いに、出てしまうから。これで得するのは、自分が自ら戦わないAでもBでもないCという存在な訳です。
自分の中にある正義を振り翳し、お互い自分が正しいと思っているから、双方間に問題は起こる。またその周りが、中途半端に首を突っ込むから、またその蟠りがずっと生じてしまう。
その原因も、何故そうなったのか、因果関係も各側の主張もお互い聞かないままで一方の側のバイアスがかかった事しか知らせずにどちらかを善悪だと決め付ける。
世界の構造はそんなに善悪を白黒ハッキリとつけられる程単純なものではないから、更に難しい。
今私達に必要なことは、事実確認が難しい内容から、どちらかの味方するという立ち位置をせずに、日々不安や恐怖に生きないで、今を生き、物事を俯瞰してみること。不安要素は、具体化に自分が行動する事である程度自分で取り除けちゃうから。
私はどちらの国にも加担しないよ。
命の危機や国の動向により苦しめられている世界中の一国民の味方でありたい。
ただ寄付するだけが助けではない。
一部の人達の誘導したい方向に私達がのらないで、
自分の頭で考える事が一番の得策。
本来は、どんな時代にも、一人一人の生活があり、人間は誰もが自由で、幸福であることを守られるべき。それを守るのが、本当は国の役目。だけど、守られていないのが現実。
誰かがやってくれると明日に期待して、やってきたからこんな今。
誰もが世界を変えたいと思うが、誰も自分自身を変えようとは思わない。
まずは、自分の足元から。
オカシイ事をオカシイと言いながら。
自分が出来ることで小さな種蒔きを。
種蒔きしたことも、忘れる位が丁度良い。
私はこれだけしたのにと、知らずに求めてしまう他人からの評価や期待を捨てる為にもね。