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認知科学?一人称研究って?

こんにちは。あかりです🌻

この投稿では私が大学時代に"音楽と情動の関係性"についてひたすら学びを深め、探究することになったきっかけである認知科学について語っていきたいと思います!

認知科学のことを知ってもらうのに大切なキーワードとなるのが
「からだメタ認知」「身体知」「一人称研究」なので、それらを順に説明していきます!


からだメタ認知とは?

私が所属していた研究会の専門分野は"認知科学/人工知能"。認知科学はひとがどう物事を認知するのか?という認知のプロセスを科学的に研究する学問。研究室の恩師の諏訪先生は認知科学の研究者の中でも"からだメタ認知"を提唱し、研究しています。

◎からだメタ認知とは
生活文脈の中で、身体と取り巻く環境とのあいだに成り立っているものごとの「実体」をことばで表現しようとすることにより、実体に留意し、実体についての自分なりの意味や解釈を醸成し、常にことばと実体(特に生活文脈における体感)を結びつけるというメソッドである。

諏訪(2012)

よく研究や実験というと"実験する空間"を作り出した上で実験するが、それだと状況や条件が変わってきてしまうため、そうではなく、日々ある生活や何かしらの場面、環境をなるべく残したまま、その文脈のなかで紡ぎ出される知の探求を大切にしていた。こういったからだの感覚にしかと向き合い、そこから抽出される生きるリアリティに即した知が身体知とも言えると思う。では果たして身体知という言葉はどういう概念から来たのであろうか?

身体知の根底にあるのは"身体性"?

ー知は身体性を伴うー
人工知能や認知科学の分野では、1980年代後半から、"身体性"という概念が登場しました。様々な知が人工知能に置き換えられ始めてたころに、「コンピューターにインプットする知識は身体的な動作やからだの反応などから紡ぎ出されており、それは状況に依存する」ということに氣づき始めた年代なのかなと推測しています。「知は身体性を有する」という言い方もします。知は身体や生活文脈に根ざして生まれるという思想であり、身体的な知はわかりやすい例で言うとたとえば、味わいであったり、スポーツや楽器の演奏スキルのことと捉えることができます。ただ果たして計算式や地理的な知識の知は身体性を有せずに概念的な知なのか?でいうとそうとも限らないと考えられる。実際にはその知識を自分の身体にインプットする際に少なからず何かしらの体感覚が伴うのではないか。知識というものは身体とことばの共創の結果として自分のものになる(体得する)というプロセスを踏んでいるのではないかと考える。

一人称研究って?

「一人称研究とはあるひとが現場で出合ったモノゴトを、その個別具体的状況を捨て置かずに、一人称視点で観察・記述し、そのデータを基に知の姿についての新しい仮説を建てようとする研究」のことを指す。

諏訪(2015)

一人称視点で観察・記述する対象のモノゴトとは、どのような意志をもって、からだを使ってどのように環境に働きかけ、環境にはどんな変容がもたらされ、自分は環境のどんなことに新たに気づき、自分の考えはどう影響を受けたか、そして、自分にはどんな新しい意図や目的が生まれたか、などを考察していくのが一人称の研究である。要は、自分のからだや意識と、環境のあいだに生じる相互作用を記述していくのが研究手法となる。とにかく"わたし"は何を感じて、何を想うのか、にとことん向き合い、ひたすら探求していく。
従来の研究では客観的なデータや普遍性を前提としてたくさんのデータを集めて平均値を出して実証するという科学的な方法が主流だったと思うが、一人称研究はそれだと「生きている生身のひと」 の知を十全に扱うことができないのではないか?という疑問から"わたし"という一人称にフォーカスし、何を感じ、何をみて、何を思うのかというのをとことん掘り下げ、その結果、ボトムアップに他の人との共通項も見出せるのではないか?というやり方で仮説を提唱していく。万人に共通する何かをトップダウンで探そうとするのではなく、ひとりひとりの生きるリアリティの詳細に迫るのが一人称研究である。
(詳しく知りたい方は一人称研究とはなんぞやという諏訪先生の論文を読んでみてください。それか私の卒論も題材になっている一人称研究の実践と理論もおすすめです。)


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