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互換性と循環。

どんな人が好き?
って質問は愚問だなといつも思うけどやはり私の中で一貫して共通しているのは
対等である事。
もちろん主従があった方がスムーズに色々な事が進んでいくのも承知の上だけど対等という意味には信頼関係や思いやりなどたくさんの材料が必要なわけで。パートナーとなるとさらにパートナーシップをもてるかどうかは最重要。ちゃんと言語が共通で互換性があるかとか循環する相乗効果ある関係を保てるかどうか。職場においてコミュニケーションが最重要なのは協働出来るかどうかのトリガーになるし風通しが良いかどうかは継続の素になる。
居心地が良くて、いい気分になれる場所。
というのはとても大事なのでいわゆるサードプレイスはそこなのだ。私のお気に入りのご近所のコーヒースタンドはいつも私のやる気をごっそりはぎ取ってしまうし、ついつい長居しちゃうし、お客様混んで来たら笑顔で私帰るー♪と言えちゃう場所。そしてさらにコーヒーが美味しすぎて私は家でコーヒーを淹れる事が無くなってしまった。さらに店主の所作はずっと見ていられるほど美しい。お鮨屋さんのカウンターと通じるものがある。最近すっかりタイミング合わず立ち寄れてないので恋しくて仕方ない。
このお店を訪れた人のSNSに

住宅街にあってご近所の老若男女が訪れ常連さんらしき人もたくさんいた。だいたい常連が多いお店というのは一見さんは居心地悪く感じたりする事が多いのにこのお店はそれがない。距離感と空気を店主が保っているのが素晴らしい。そして、ちゃんと美味しい。

みたいな事が書いてあってまさに!と唸ったのでした。連鎖と循環。残念な事にそれはいい事だけではなくいわゆる負の連鎖もあるのでたくさんの事をとっさに見極め判断するのはとても大事なのです。
最近40歳を過ぎて強く思うのは、、

好き嫌いがある人が好ましい。

これはちゃんと今までの自分と向き合って自分のモノサシを持てるようになっている証。もちろんこの自分のモノサシを他者に押し付けるなんてのは論外だけど好きも嫌いもちゃんと持てている人の方がよりお互いを早く理解しあえるから。
みんな仲良しでいようー
と幼少期から中間層ばかり量産する教育は実際、私にはとても苦痛だったし好きなものが解らなくて迷走する青年期もたくさん。苦手、不得意、伸びない、ストレスな事から離れる決断も自分が得意で好きで向いている場所を早くみつける方が幸せ。
柔軟にかわしていく鈍感力や住み分けというのは長く生活していく中で重要なスキル。なので最近の私は好き嫌いウエルカムなのです。

悪口は1番手軽な娯楽

だったりするのでもちろん、好きが一緒の人がいいのだけど。なのでどうしても苦手が増えてしまって相手に愚痴っぽくなってしまうとその関係を断捨離してしまう。私は女子校育ちだったけどいわゆる女子グループのメンドクサイヤツが苦手だったし幸せな事にマイペースな子が多かったので(色んな場所から通学してるから学校以外の時間を共有出来ない)そういう意味ではとても平和だった気がします。先生は大変だったかもだけどw
私立中高一貫校への進学は親の教育観念や経済状況含めてある意味同じ育ちなのでトラブルがないのも納得。今思うと不出来な娘に投資してくれたのは感謝いたします。制服代とか雑費とかはなかなかだったはずw

学校は友達を作る場所。
それなりの学校はそれなりの友人が出来る。

と稲穂育ちの父が言ってたけど
大人になればなるほど沁みるけど
世間に出てない子供には全く伝わらないのよね。
大学にも進学しなかったモラトリアムな私がたくさんの聡明な友人が出来たのはとてもありがたいなと日々思ってます。来世で学校を選べるならやはり私はインターに進みたいけど、もう一つだけ欲を出すなら芸大とかにいって彫刻とか陶芸したかったなと思うのはハチクロのせいかしら♪

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