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エンバーミング。
12月の姉の誕生日に
姉の義母が亡くなった。
ちなみに先日七回忌だった父は12月の母の誕生日の翌日に逝去するサプライズをかました。
父が敬愛してやまなかった伯父(父の兄)が亡くなったのは12月だった。ちなみに夫の誕生日。
伯母(父の姉)も父の七回忌翌日に亡くなった。
父のキョーダイは3人とも12月に亡くなってしまったのである。寒いのが苦手なのは家系なのだろうか。
話を戻すと、姉夫婦には子供がいなく義兄は一人っ子だったので歳の離れた妹の私は義兄とは親子ほど年齢が違いまさに孫かの如く義兄の実家にはかわいがってもらったのだった。
市街地で生まれ育ち祖父母宅も車で30分かかるかどうかの距離だった私が初めて義兄の生家にお邪魔してとても感動したのを覚えている。市街地から1時間もかからない場所だけど峠を抜けた先は絵に描いたようような美しい山間の温泉もある田舎町で1番最初の冬は炬燵がガチの掘り炬燵だったのである。何もわからない私の靴下は灰?で真っ白に汚れたのを覚えている。夏には当時まだ元気だった義兄の祖父が鮎を食べるか?とってきてやるぞ!と生命力のかたまりのようなその身体で色々と田舎を教えてくれた。夏の涼しくて静かな夜も冬の満天の星空と白い景色も田植えも稲刈りも田舎暮らしの仕事量の多さを都市部で育ち働いている姉が馴染んでいくのか、、どう田舎の嫁に育っていくのだろうと思っていたけどあっという間にこなしていき流石である。
私も姉達と同じように
おかあさん
と呼んでいた姉の義母。最後にあったのはいつなんだろう、、と思い返したけど時すでに遅し。
それでも最後はお見送りしたい気持ちがいっぱいだったので葬儀に向かった。
遺影のお写真はいつものおかあさん。
そして棺の中でも
いつものおかあさんだった。
姉夫婦は95才で亡くなったおかあさんに
エンバーミングを施したという。
とても顔色も表情もよくて触れた手も
いつものおかあさんだった。
祭壇もピンクが多くてかわいかった。
何よりもよかったのは住職がお話も読経も素晴らしく素敵だった。火葬場でもあっという間にまわりの人が集まって話をきいている。モテモテだったw
思い出すのは
いつも優しくて働き者で
ずっと土を触ってた
笑ってるおかあさん。
キヨコさん
お疲れ様でした。
今年の夏は
あの田舎の家に久々にゆっくり遊びにいかせてと
姉夫婦にお願いしようと思う。初盆の頃に。