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価値観の違いは感受性が違うから。

私はクリエイティヴな生業はしてないけど友人や憧れな人はクリエイティヴな仕事をしてる人が多い。し、とても肌が合うというか一緒にいて楽しい。
クリエイティヴってなに?
ってことになるんだけど感受性や感性や感情が多い人なのかなと思う。
私は人よりちょっと感情が多いんだと気付いたのは雨宮まみさんの
死にたくなる夜のこと
を読んでから。彼女と私はちょっと同じタイプというか共感する事が多すぎた。彼女の死去はとてもとてもかなしかった。死ぬか生きるかを選べる時は生きる方を選ぶ。選べない時は必ずくるから。希死念慮は30代でやっと消えてくれたのはまたみたい景色が尽きなくなってから。随分と厚かましく図々しく逞しくオバチャンになったものだ。ご近所のオバチャンは意外と心地良く楽しい。価値観というよりも感性というのは分かりやすいモノサシがないので難しいのだけど例えば白は300色あるという人と白は白1色しかみえないし!という人ではなかなか話がスムーズにいかないし同じ景色を観るのには不安になる。うれしいも細分化された100通りのうれしいを感じる人とそうでない人とでは伝わらない事が多すぎると思う。ポジティヴな事だけならいいのだけどだいたいの人がネガティヴな事での違和感にその感性の違いからのすれ違いに違和感がでる(違うの乱用w)見えるもの、聞こえるもの、感じる全ての事においてその感性は価値観になっていく。ありふえた言葉でいうと繊細さなのだろうけど。繊細な人からみたら反対側はごく単純で羨ましいとさえ思う。鈍感力はたくましく生きてく力なのだ。違うからダメなんじゃない、けど違うから分かり合えない事や平行線な事はとても多いと思う。繊細さんと単純さんで行くと繊細な方は疲弊しがち。なかなか難しい。
一緒に暮らしていくならそういう些細な拘りみたいなのはやめてほしい。
と家人にいわれた事がある。私としては些細なら受け入れて欲しいと思ったのだけど。感情が多すぎるので誰かと暮らしていくのは不向きな気はするし今更私は私自身と別れられないのだ。先日も某所で

1人でも生きていけそうだよね

と言われた。まさにそうなのよ。私もう大人だし誰かいないと生きていけないほどお花畑じゃないし困らない。けど生きていくには誰かの作った野菜を食べて誰かと仕事をして働くし家族もいる。そして、1人で生きていけるけど誰にも会いたくないわけじゃないし誰かと過ごしたい朝だってある。もちろん1人旅も静かな1人の時間もとても大事だし心地良い。1人で出来ない事はみつからないし1人で淋しいと思う事もない。もっとも寂しさを感じるのは誰かといるのに孤独を感じる時こそだと思う。美しい空をみてこの景色をみせたい誰かがいるということ、一緒にみたいと思うことは大好きだという事。
その昔にアワードを獲ったのはそんな
離れてる場所から沈む大きな太陽を贈りあったエピソードと写真だった。太陽はヒトツしかないのに西と東に住む2人の写真は少しずつ違って距離を感じるという話。その2人が今度は同じ月を並んで見上げる話をこれから書こうかな。

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