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…鳥よ。

…ずっと「恋歌」だと思っていた。

西田敏行さんが亡くなられ、改めて過去動画を見る機会があった。
そこでふと考えたのは
「この歌は誰に捧げられたものか?」
…という疑問だった。
当たり前だけど、今更だけど…。

昔からこの歌は、自分が思いを寄せる女性への歌だと思っていた。
ピアノが弾ければ、その旋律にのせて思いを伝えられるのに…という。
ちょっとセンチで、また純情でシャイな男の歌だと。

彼の訃報に寄せ、その認識は正しいのかどうかを考えてみたくなった。

二番の歌詞…人を愛したよろこび、心が通わぬ悲しみ…というものは、男女間の恋愛のそれであろう。
つまり殊更に、思いを寄せている彼女に伝えるべき言葉ではない。

伝えたい相手は他にいる。
この曲は「池中元太80キロ」での劇中歌である。
元太には、自身の血が混じらぬ「子供」が三人いる。
彼女たちに対し、自身の思いを伝えていきたいのに、その思いはなかなか上手く伝わっては行かない。
子供の母親である元太の妻は早世してしまい、子供と元太を繋いでくれたであろう存在が無くなってしまった。
故に元太と子供たちの関係は「空回り」を続けてしまうことになる。

この歌は、元太が子供たちに向けて語りかける思いの歌だ。
父親として忸怩たる思いにまみれ、泣きながら歌う悲しみの歌だ。

父として居ることを元太は望む。
しかし長女である絵理(杉田かおる)は、それを認めない。

「鳥の詩」は、そんな彼女の心情を歌ったものだろう。
回帰を望む気持ちの強さが、再び渡りを経て戻ってくる「丹頂鶴」の姿に重なる。
彼女は彼女で、現実を受け止めようともがくのだが…ティーンである彼女には辛い試練であると言わざるを得ない。
…元太も絵理も…他の子供達も、辛さの向こう側にあるであろう未来を探すのに必死なのだ。

生きることは辛いものだ。
どんなに楽しく生きようと望もうと、悲しみという壁と出会わずに済むことなどあり得ない。

逃げたらいけない。
鳥はまた何度でも還ってくる。



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