バイアスを自己認識する重要性
自身は基本的にもう授業を受ける立場の人間ではないのだが,こちらに来て一つだけ研究倫理の授業を受ける必要があり,アメリカの大学でどういうことが授業で教育されているかということを知る機会があった.これは研究不正を防ぐためにNIHが資金提供を行っているプロジェクトに関わる者すべてに対面出席義務を課している講義で,全8回のセッションにすべて出席する必要がある.
講義といっても講師の話を聞いてテストに答えるというものではなく,いわゆるディスカッションスタイルで,ファシリテーターを中心としながら少人数グループでケーススタディを行うというものだった.ロクに英語の雑談にも入っていけない自分には極めてハードルが高く,毎回準備に膨大な時間が必要だったが,アメリカの大学授業がどのような形で行われているか今まで知る機会がなかった身としては非常に新鮮だった.
この授業では剽窃からパワハラのような指導まで数多くの研究不正の具体例が紹介され,それに対してなぜそれが起きてしまったのか,背景にどういう因子が働いているのか,再発防止策をどうすればよいのかということを議論する.身分も出身国も様々な人がいる中で,議論では文化的な違いも垣間見え,グループによって議論が向かう方向も様々であったが,どのケーススタディでも必ず議論させられた事項が,「各関係者に不正や不適切な決定を行わせる背景因子や動機としてどのようなものがあるか」ということだった.
たとえば「アルツハイマー治療薬の承認申請でFDAが費用対効果が低い薬に対して,専門家のボードでは反対意見が多かったのにもかかわらず,最終的に承認した要因はなんだろうか?」というテーマでは,専門委員やFDA組織そのもの,製薬会社や患者団体など関係者それぞれについて,薬の承認に向かわせる動機としてどのような因子があるかを列挙させられた.
日本でも似たような議論や批判は行われるが,製薬会社は承認されれば莫大な利益を得られるというような議論は多いものの,承認を与える政府機関(厚労省やPMDA)は中立で常に公平な判断をしているという前提に立って議論されることが多い.いわゆる無謬性である.
しかし,今回の授業ではそもそもFDAは中立な組織ではないという前提に立ち,FDAが受ける政治的圧力や治療薬が乏しい疾患の患者団体が政治家に及ぼす影響,専門委員が製薬企業から受ける資金提供,承認がアルツハイマー業界全体に及ぼす潜在的な利益など,「中立で偏っていない者など存在しない」という前提で背景因子を考えるように示唆があった.
アメリカは大統領が変われば官僚も大幅に入れ替わる政治システムであり,日本ほど政府機関が「お上」として盲目的に信頼されていないがゆえにそういう授業が行われたとも考えられるが,「どんなものにも必ずバイアスがあり,バイアスはゼロにできないけど,現象の裏にどういう背景因子があるかを想像し,特定の立場や主張を盲目的に信じることを防ぐことはできる」ということを強調したかったのだろうとも思えた.
今回の兵庫県知事選挙でも,このnoteでは各人の行動や習慣の背景にはどういう動機が考えられるのかということを自分なりに考察してみたつもりではある.これは想像であって証明することも難しいので,左派でも右派でも主張の強い人は「そんなことはない!そうである事実を証明しろ」という人もいるかも知れない.しかし,背景因子に関する考察を各人の中で想像として持っておくこと自体が重要であり,何事も眉唾で物事をみて自身のバイアスにも気づいたうえで,特定の主張や方向性を支持することが健全な議論と適切なリテラシー,そして適度な関係者間の緊張関係を生むのだと私は信じている.
メディアも嘘はつく,そして嘘を付く動機がある.別にそれは悪いことではなく,メディアから情報を受け取る側がそれを想像して割り引いておけばいいだけである.
この当たり前のことに日本人全体が気づくようになれば,息詰まるようなシルバーデモクラシーも大きく変わっていけるのかもしれない.