深まる感染症臨床医の苦悩
勤務する病院の院内でも第7波ほどではないが,院内感染者が続々と増えてきた.第7波では感染すると民間保険の保険金が下りるということで,医療従事者のみならず会社員も自営業者も,みんなこぞって医療機関を受診して発生届を出してもらったり,自己検査の人は陽性者登録をしていたが,今は65歳以上でなければ金銭的メリットはまったくなく,陽性者登録するメリットと言えば,在宅療養の電話サポートが受けられるぐらいであろう.若い人や一人暮らしの人には検査をするメリットが全くないので,怪しくても検査しない人や,仮に自己検査で陽性が出ても黙っている人は多いと思われる.第7波までの感染者捕捉率に当てはめると,体感的には公表されている感染者数の3倍ぐらいの波が来ているような印象を持っている.10日隔離だった頃の療養者数で計算すると,大都市部では今だいたい30人に1人ぐらい感染している計算だろうか.
医療機関では欠勤者の増加や院内感染者の増加で,新規の入院受入能力が大きく下がっている一方で,「5類教」の広まりや,社会の感染対策への関心は低いままに年末年始に突入してしまったことで,医療専門メディアでは現場の感染症にかかわる臨床医たちの苦悩が見て取れるような意見記事が相次いでいる.
その苦悩とは,ここでも何度か言及してきたが,端的に言えば医療弱者が多くいる中で,院内感染やそれに伴う死をどこまで許容するか,それを遺族も含めて許容できる社会になれるのか?という問題だ.これは単なる感染対策や治療の技術的な問題だけではなく,医療者および社会全体に対して,生命倫理や死生観,儒教思想などの日本文化の根底そのものへ大幅なアップデートが要求される事項になる.今のところこの問題に気づいて真剣に悩んでいるのは一部の医療従事者だけなので,その苦悩は余計に孤独で深いものと推察される.
臨床家によって言っていることは微妙に異なるが,その苦悩が捉えられる具体例を以下に紹介したい.いずれもいつも現場のナマの状況をわかりやすく伝えてくれていて,いずれも信頼できる医師たちからの意見表明や解説記事であることを申し添えておく.
(1)近畿中央病院の倉原優先生の例
倉原先生は呼吸器内科医だが,最初はどちらかというと社会の緩和に理解を示す態度を取っていた.12月上旬に発出された記事では,小児ワクチンの接種増加を訴えるとともに黙食解除を含めた社会の緩和姿勢に対して理解を示す内容だった.
しかし,次の記事では以下のように医療者として,院内感染はやはり許容できないとコロナを風邪のように扱うことには反対の立場を表明
さらに最近の記事では現状の厳しさを訴える一方で,高齢感染者の死を前提として人生会議(ACP)の実施を呼びかけるという,緩和なのか強化なのかよく分からないチグハグな主張へ変わっていく
おそらく筆者自身も悩んでいるのだろう.さしずめ妥協点としては,社会全体の緩和は理解できるが,医療現場としては生命を救う義務があるので全面的には許容できない,ただACPをしてコロナ死を人の死の一類型として特別視しないように社会がなれば,医療としても制限緩和に対して同意できるし,こっちの負担も少なくなるのになぁ・・・そんな感じだろうか
(2)埼玉医大の岡秀昭先生の場合
一方で岡先生は対策強化の意見から入っていく.第8波の立ち上がりの頃は以下のように対策強化を訴えていた.
ところが,しばらくして感染力の高さゆえに院内感染がコントロールできない状況に陥ると,「無理ゲー」と表現して,院内感染を許容すべきではないかという意見を表明している.
しかし,その次の記事では今度は緩和に反対している・・・とおもいきや最後は自分で自分の身を守るしかない,というこれもチグハグな結論に到達している.
(3)藤田医大の岩田充永先生の場合
岩田医師は連載を持っているわけではないが,Buzzfeed内のインタビュー記事の中で迷いが見られた.
最初はこの拡大する感染状況では自分で自分のみを守っていくしかないという主張だった
現状では院内感染もある程度許容するしかないのではないかという,岡先生も主張するような意見も見られた.
一方で感染が広がると困るという立場も表明しており思いは揺れ動いているように見える.
そして最後は倉原先生のようにACPの重要さを訴えている.
このように現場の医療者の中では感染防止したいという思いや,社会を動かすために緩和が必要だということへの理解,折り合いをつけるために最後は自己責任も考えるべきという考えが入り混じって迷いとなっている.いずれも理解できることだが,今後社会全体としてどう考えていくか,非常に難しい選択を迫られるようになるのは間違いだろう.