推しの現場を全通してたら閉鎖病棟に入院することになった話1

 9月17日、閉鎖病棟から退院した。
 もう閉鎖病棟に戻らなくてもいいというのはかなり心がはっぴーで、昨晩は、うっきうきでカツを揚げるなどした。何度か外泊と外出で家に戻ってはきていたが、改めて家の居心地の良さを感じ涙が出そうになる。
 これは推しの現場を全通していたら2ヶ月と数週間、閉鎖病棟に入ることになった、ただのオタクの記録である。久しぶりに文章を打つため、不自然な表現や言葉選びがあるかもしれないがご了承いただきたい。
 あとオーバードーズの表現が出てきますが一切推奨はしていません

きっかけ

 2021年にCHEMISTRYの沼に落ちてから3年間、倍率や運の関係で片手で数えるくらい取りこぼした現場はあるが、それでもほぼ現場は全通してきた。
 閉鎖病棟に入院することになったきっかけは7月5日。7月15日に開催されるCHEMISTRYの少人数限定イベントに落選した。周りの人たちが当選していたのもあり、今まで落選した時とは比べ物にならないくらい落ち込み、家にあった酒と大量の処方薬を一緒に飲んで一晩をやり過ごした。
 翌日CHEMISTRYとPUFFYのライブのために愛知から大阪に向かう道中も処方薬を飲んでいたとメモにあった。ふらふらのまま大阪へ。泊まるホテルの駅まで行き、ドラッグストアで市販薬を購入。大量に飲んだところでどうやら倒れたらしく、次の記憶は病院の白い天井だった。
 看護師さんらしき人に「すみません、ライブあるので出してもらっていいですか?」と聞くも、「もう間に合いません」と返されて完。ずっとライブ行きたいライブ行きたいと言い続けていたらしい。そこそこいい整理番号持ってたもんね、悔しいね。
 愛知から迎えにきてくれた親の運転する車の中で、呑気に夜のドライブだ〜などと思っていた。呑気すぎるだろう。その晩の間に愛知にある家に着いたが、よく眠ったのか全く眠れなかったのか、記憶がすっかりない。
 翌日7月7日、神戸で堂珍さんのプラネタリウムライブだったため、母親と家から出るも体調が悪すぎて最寄駅から家までカムバック。家で薬が大量に見つかり母親に没収され大喧嘩。うわごとのように「入院する! 入院する!」と繰り返していたため、一旦かかっていたメンタルクリニックに行くも、症状が重すぎて追い返される始末。ここで入院を連呼していたのは他でもない、メンヘラ界の姫ともいえる故・南条あや氏への強い憧れである。そのほかにも閉鎖病棟のブログをいくつか愛読していた。

 結果、7月8日に私が望んだまま、親が探してくれた閉鎖病棟へと入院しようということになった。しかしその時、薬を奪われたショックで母親への憎悪はとんでもないことになっていた。そのため姉と姉の旦那の運転する車に乗り、病院へ。車の中でも薬をぼりぼりして怒られるなどしていた。
 病院についてからの記憶も薄い。薬が飲みたくて暴れたということだけは聞いている。病院の人たちごめんなさい……。姉の旦那にディズニーシーのキャラクターであるジェラトーニのパペットで遊んでもらいながら待つこと数分。正式に入院が決定。診断名は双極性障害(躁鬱)である。しかしどう考えても躁の時がないため、私はただの鬱だと思っているのだが……。
 スマホを持ったまま入ろうとすると、看護師さんから衝撃の一言。
「スマホの持ち込みはできません」
 私が読んでいたブログはなんだったんだ????
 おそらく持ち込み可能の閉鎖病棟か、半閉鎖病棟のいずれかだったのだろう。そんなことも知らずに持ち込めるとばかり思っていたためここで撃沈。やや入院を渋るが、親から週に一度は面会に来るからと言われ渋々承諾。スマホを親に預け、ジェラトーニを抱きしめ車椅子に載せられたまま入院生活がスタートした。ちなみに車椅子に乗っていた理由はあまりにも私がふらふらしていたからだと思われる。普段は普通に歩けます。

直談判

 入ってすぐ看護師さんから「お昼ご飯食べた?」と聞かれ、食べてなかったためいただくことに。この病院はやたら鶏が美味しく、その後も鶏が出るたびにテンションが上がっていた。この日はまだ元気で、野菜に混ざっていた赤ウインナーを見て要さんが喜びそうだなーなどと思っていた。
 年齢層はご高齢の方が圧倒的に多く、ほぼ老人ホーム状態。喋り相手はいないがまあなんとかやっていけるだろうと個室のベッドの上でごろごろしたりノートに文章を書いたりして、そこそこ退屈ながらも1日目が終了。服薬していた薬はエビリファイとリスパダール。

 2日目、ベッドで横になっている時、突然「ここから出られないのでは?」という強い気持ちに襲われる。あんなに閉鎖病棟に憧れていたのに、だ。それまで呑気にご飯を食べたりノートに文章を書いたりしていたにも関わらず、唐突にしばらく家に帰れないという現実を受け入れることになったのだ。遅すぎる。
 個室の机の上にある紙を見ると「任意入院に関してのおしらせ」の紙が。そこには患者さんが希望すれば退院できますよーというような内容が書かれていた。よっしゃあとそのままナースステーションへ直行。
「〇〇先生に会わせてください!」と頼み込み、診察室へ。「単刀直入に言います、退院させてください」と直談判すると「うーん、ご家族さんに頼んで強制入院にしてもらう?」とまさかの言葉が。
「もう出たいです!」と騒ぐと「それじゃあよくならないよ」と先生。「よくならなくていいので家で治すので出してください!」と頼むも一旦個室へ追い返される。先生話が通じないな(今思うと通じないのは私の方だったが)と思いながら待っていると再び診察室に呼ばれることに。退院か? とうきうきしながら向かうも先生から告げられたのは「保護者の方から承諾いただいたので医療保護入院(強制入院の意)に切り替わりました」
 診察室からとぼとぼと出てきて、ここから3ヶ月丸々出られないんだ! とナースステーション前で大泣き。だが看護師さんは誰も見向きもしてくれない! 冷たすぎる! が、今思うと当たり前である、忙しい看護師さんに脇目も振らず大泣きする患者に構う暇などない。
 ここから波乱の入院生活が始まったのであった。

続く


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