「人に恵まれている」という人達
「自分は人に恵まれている」と言う人達がいる。
わたしはそれを聞いて、羨ましいなあといつも思っていた。
人との出会いは自分ではどうしようもできない部分も多く、その人達は運が良いのだなあも羨ましかった。わたしは自分が人に恵まれていると思ったことはなかった。
先日、友達から「人には恵まれた」という発言があり、詳しく聞くと学生時代からいつも先生やら友達が支えてくれるくれていたという。
羨ましいなあと思いつつ、なんとなく自分の学生時代と照らし合わせていたら、、、
あら?
わたしも、どの時代にも安心できる場所と人が1人はいたかも、と気づいた。
小学校から中学生にかけて一時、友達がいなくなり辛くて泣いていた時もあったけれど、そこを抜けると誰かが一緒にいてくれた。
友達がいない時期も家は安心出来る場所だった。両親に加えて祖父母もいてくれた。
大学に入ってからは飛躍的に関わる人が増え、バイト先、ゼミ、サークルと、好きな人達がたくさん増えた。わたしを好きになってくれた。
新卒の会社は馴染めなかったけれどその中にも支えようとしてくれる人達がいた。親切にしてくれた人のおかげでな何とかやってこれた。
2社目はもうめちゃくちゃに人に恵まれて、ストレスがあまりなく過ごさせてもらっている。
こうやって順を追って思い返すと、意外とわたし、人に恵まれているかも。
その時々で孤独はあって、それに飲み込まれていて恵に気づけていなかった。悲しい思い出が出しゃばってきて、良い思い出が追いやられていた。
改まって、人の恵まれについて振り返る機会もなかった。だから、自分が人に恵まれているなんて思わなかった。
親や友達がいてくれることが当たり前にもなってしまっていた。いて当たり前なのだから、幸せに換算できていなかった。なんてもったいないこと。
わたしを好いてくれていた人には申し訳ないことをしたなあと思う。これからは人に恵まれている自分として、周りに感謝を持って生きていきたいと思っている。気づけてよかった。
そして、物ごとは捉え方次第、過去も捉え方次第ということにも気付きはじめている。過去は文脈や解釈を変えることでポジティブにもネガティブにも変えれるのかも。
「人に恵まれている」という人達は、運がいいとかではなくて(もちろんそれも少なからずあるかもだけど)、「周りに感謝できる」人達であり「過去をポジティブに捉える」ことできる人達だった。
わたしもたくさんの恩恵に気付き、過去をポジティブなものにしていこう。そして今を明るく過ごしていこう。