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寂しさのコップは満たせるだろうか

最近、寂しさの感じ方、付き合い方、埋め方について考えている。

きっかけは、わたしのお気に入りポッドキャスト「超相対性理論」の「#37 寂しさとは何か」を聞いたことから。

最近気づいたのだけど、わたしはとても寂しがり屋。周りの話を聞いていて、寂しさの感じ方が人より強そうだと気づいた。他人の感じ方は分からないから、自分の感じ方が変なのかどうか今も分からないけれど。

家族と暮らして友達がいたりしても寂しさを感じる。1人の時間も必要だし、1人でカフェにも行けるけれど、1人でいる時は特に寂しい。常に寂しさが多かれ少なかれ付きまとう。

ポッドキャスト「超相対性理論」で言ってたんだけど、寂しさって人それぞれで、寂しさのコップが大きい人もいれば小さい人もいて少しの水で寂しさを埋めれる人もいれば大量の水を必要とする人もいる。

コップが壊れていたり、底が抜けてしまっていつまでも寂しさが埋まらない人もいるらしい。

今のわたしに必要なのは、自分のコップの形を認識して、それをどう満たすか考えることだと思った。

わたしは元々コップが大きくて沢山の水を必要とする人なんだと思う。そして、底も壊れていて水が漏れだしている気がする。だから、常に満タンにならず寂しい。

まずは、コップを修復しないといけないのだけど、修復ってどうするんだろう。
多分、ないものねだりを辞めること。隣の芝生はいつも青いんだから。
今を見ずに、幻想の幸福ばかり追い求めるのを辞めること。色んな幸福があることを実感して、今の幸福を感じること、とかかなあ。もっと他に修復の仕方がある気がする。考えがまだ足りていない。

そして、コップは完璧に修復はできない気もしていて、この寂しい状態を嘆かず受け入れることも必要だと感じている。
完全に埋めることは出来ないと覚悟を決めて、寂しさの中に凛と立っていたい。

たまに安心できる瞬間があれば、その時間を大いに喜びたい。その瞬間がなくなって寂しさが戻った時は、なくなったことに嘆かずに得たことにフォーカスしたい。

丁度このnoteをちまちま書き進めていた最中、寂しい思いを打ち明けてくれた人がいて、同じ人がいるのだと心も少し強くなった。独りじゃないって分かるのは幸せなこと。

そして、最後にコップの水の満たし方。これもまだしっくりくる方法は見つかっていなくて難しい。今は、少しでも心が潤う瞬間を覚えておいて、その瞬間が日々に散らばるように実践していきたい。

潤う瞬間は音楽なり本なり友達なりスポーツなり、こうやってnoteに書くこともそう。でもどれも詰めすぎると心が傷むので注意がいる。

あとは、寂しさにも色んな種類があって、どれなら耐えれるかどの寂しさは埋めたいか、それを明確にして人生の決断を行っていかなきゃと思う。

寂しさの種類は、物理的と心理的な2つに大きく分かれるはず。

▫️物理
例えば・1人で行動しなければいけない・家族や友達、恋人がいないこと

▫️心理
例えば・自分の認めてもらいたい部分を認めてもらえないこと・話し合えないこと

どれも大切で何か1つ欠けていると胸が痛む。何を得て何を捨てるかはその状況になってみないと何も分からない。本当はどちらもバランスよく満たされているのが理想。けれど全ては手に入らないから、いざとなった時 大事なものを選びとる決断が必要な事は頭に覚えておこうと思う。

もうこの寂しさから抜け出したいなあ。0にすることは出来ないけれど、小さくすることはできる。

寂しさについての理解と解消は、今のわたしの人生において大きな課題。

わましは中学生辺りからずっと心の辛さ、もやもやを感じていたのだけど、それはきっと寂しさだった。絶対的な心の拠り所がなくて寂しかったんだと思う。そして、絶対的なものなんてないから、わたしにはずっと寂しさが付きまとっている。

周りの人の話を聞いたり、本やらで学んで、もっと理解度を上げて寂しさに対処していきたい。ここまで分かっただけでもなかなか前進だと思う。

わたしの「寂しさちゃん」と上手く付き合っていきたいな。そして同時に周りの人達の寂しさの形も理解して癒せたらいいな。

最後に、読んでくれたあなた、
寂しさについて何か思いなり知恵なりあれば、どうかコメントなどで教えて欲しいです!1人ではどうにもならなくて、もがいています。どうぞよろしくお願いいたします。

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