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1999年作の映画「刑法第三十九条」

最近、映画を観た感想をリモートで自由に言い合うというグループに参加している。

次の課題となった経緯で、非常に懐かしい映画「刑法第三十九条」という森田芳光監督作品を再び見ることになった。
2回目と言いつつも詳細はほとんど忘れてしまっていた。確認すると1999年公開、20年以上前の作品だ。

【ストーリー】
アパートで夫婦の惨殺死体が発見された。容疑者として劇団員柴田真樹(堤真一)が逮捕され容疑を認める供述を始めた。柴田は素直に罪を認めるも、時折意味不明な言動をすることがあり、国選弁護人(樹木希林)の申請により精神鑑定が行われることになった。
精神鑑定を担当する精神科医の藤代は助手の小川香深(鈴木京香)を連れ立って鑑定にあたり「解離性同一性障害」いわゆる多重人格による心神喪失であると判断。ところが香深はその判断に疑問を持ち再鑑定を打診する。

表題にもなっている刑法第三十九条は、心神喪失と判断されたものの罪は罰せず、心身衰弱と判断されたものの罪は軽減する、という条文で、罪を認めている柴田が時折見せる凶暴性は、果たして何なのかというところから物語が始まる。

人格の入れ替わりは、何らかのスイッチがあり、それが入ってしまうと途端に体中が震え、ガラッと目つきが変わる瞬間がある。柴田には利き手も筆跡も異なる2つの人格があると判断され、事件当日は主たる人格でない交代人格が支持していたのだと藤代の診断が下された。

ただ香深はその鑑定に疑問を抱く。確かにデータはそう物語っているのだけれど、自分が対峙した柴田とはどうも重ならない。データや数値には表れない自分の感覚を信じて突き進む香深。再鑑定すると決まった彼女の覚悟は真実を切り開けるだろうか。

柴田の生い立ち

解離性同一性障害の原因の一つになり得るような生い立ちが、徐々に明らかになってくる。柴田は2年前に父親を東京の病院で看取っていた。故郷の新潟を出てから10年以上経過したのち、ホームレスだった父親と再会し面倒をみていたのだ。

離婚した母親の記憶がほとんどない柴田は、父子二人暮らしだったが中学生の頃に二人とも故郷新潟から忽然と姿を消した。その頃には父親からの虐待も受けていたらしい少年柴田。

解離性同一性障害はおそらくこの体験から発生したものだと、生い立ちが明らかにされるたびに納得がいく。

ただし、普段の柴田は穏やかで精神的な問題があるようには見えない。実際、父親には住まいも用意しホームレス仲間からもいい息子として評判は高かった。柴田を操縦しているとされた交代人格は、どんな時にどんな顔をして表れるのか。柴田を動かしているのは柴田自身なのか、それとも別人格なのか。そもそも別人格の行動を罪に問えるのか、疑問が膨らんでいく。

香深の事情

藤代の助手として鑑定に立ち会った小川香深。名前は「カフカ」と呼び、これはのちに父親が名付けたものだと判明する。

話し方は大人しく、感情を抑えたような表情からは本心が見えづらいが、ひとたび疑問を持つと立場やキャリアなど目に入らず意見を表に出す信念の持ち主。

ただ彼女自身の私的な部分は難解を極めており、彼女の帰りをいつも待っている母親は二人暮らしとは思えないほどの大量の料理をこしらえ、焦点の合わない顔つきでぼうっと座っていたりする。父親は不在であるが、徐々に彼の犯した罪、亡くなった経緯が明らかになるにつれ、彼女がなぜここまで「犯罪を犯した時点の精神状態」にこだわるのかが分かってくる。

被害者の過去

今回被害者となった夫婦だが、妻は居酒屋店勤務で妊娠5ヶ月の女性だった。実は犯人である柴田と犯行当日、勤務先の居酒屋でちょっとした口論になっていて、店の誰もがそれを目撃していた。

その諍いに腹の虫が収まらず、退勤後の彼女をつけて襲ったとされたが、たまたま居合わせたと思われた夫の畑田修には、以前心神喪失と判断され殺人罪を免れたという過去があった。

当時、未成年だった畑田修は幼い子供を襲う事件を起こしており、3件目となった小学一年の女児をついに殺してしまった。遺体を発見したのが、当時中学生だった兄、工藤啓輔。帰りが遅い妹を心配し、探しに行った先での出来事だった。心神喪失の上、未成年であるために一切の罪を免れた畑田。その畑田が今度は被害者となり、その犯人の裁判で心神喪失が争点となる。皮肉な巡り合わせとなった。

付け加えると、警察は当初柴田の殺人の動機としてその事件の被害者の線を洗ったが、接点は発見されなかった。

演劇にのめり込む柴田

柴田は逮捕当時、「証言台」という一人芝居を演じていた。それは同朋の肉を食べた軍人が審判に掛けられるという内容。

柴田は普段は控えめな性格で決して目立つ方ではないが、芝居にはこれ以上ないほどの執着を見せる。実際に一度見た芝居のセリフを全て頭に入れたほどの情熱で、劇団員として熱心に活動していた。

実際、今回の映画において「芝居」は一つのキーワードとして幾度となく語られることになる。それはこの事件の中に隠された真実に関わってくることなるのだけれど、ラスト25分の「公開鑑定」のシーンでは法廷内が暗くなり、対峙する柴田と香深にスポットが当てられているような演出が見えた。

真実が明らかになって初めて、柴田が演劇に執着した理由というものがはっきりと浮かび上がってくる。

香深は肌で感じていたのだろうか、柴田の本当の声はどこにあるのか、という謎を。

裁きという本質

この事件は、本来ならば殺人を犯した柴田、それを弁護する弁護士、起訴した検察、それらが真実を明らかにし柴田の罪を判断していく、そういう場であるはずなのだが、素直に罪を認めている犯人ということで弁護士も検察官もおざなりになっているのが前半は見え見えな構図となっている。

柴田のじっと何かに耐えているような静かな佇まいからは、罪に観念しているというよりも、何かしら確固たる意思のようなものが感じられるのだが、彼が発する「早く死刑にしてくれ」という言葉が様々な意味を持って解釈されていく。

その中、精神鑑定を依頼されたことで彼と接することになった香深だけが、データには乗らない、彼女の「肌感覚」に違和感を覚え、異議を唱えることになる。

藤代が接見したことで、柴田は別人格をあらわにするのだが、その標的となった香深は人が変わったような凶暴な言動を目の当たりにしながらも、緻密な観察を決して怠らなかった。

彼女自身、過去の経験を元に目指した心理学から、量刑の判断材料となる精神鑑定を考えるとき、肝心なことが置き去りにされているのではないか、と疑問を投げかける。

動機の先に

柴田には殺人に至る動機があった。それは柴田が歩んできた人生そのものであり、芝居にのめり込んだ近年の集大成でもある。それらは実際に物語とともに明らかにされるのが一番良いと思うのでここでは言及しないが、その動機そのものよりも、香深が実際に目で見て肌で感じたことから湧き起こった感情の方が遥かに真実に迫る一歩となる、ということの方が重要に思えた。

彼女は警察がおざなりにした綻びを一つ一つ丁寧にすくいだして、柴田に迫ろうと様々なところに足を運ぶ。もしかしてその先に見据えているのは、自分がずっと目をそらしてきた事実なのかもしれない。

演技派の役者揃いで、この物語のテーマともなっている心神喪失を体現させるかのようなカメラワークに心をかき乱されるシーンも何度かあった。

特に物語の核となる、柴田を演じる堤真一がすごい。そして、飄々としているけれども誰よりも執念深い一面を持つ刑事を演じた岸部一徳も良かった。

何より、内に秘めた情熱を抑えたトーンで演じ切った鈴木京香が、美しく素晴らしかった。

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