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無花果と内面と。

こんばんは。
11月も後半になりつつある夜、そろそろ美味しい無花果を食べられる時期も終わりだな。
と思いながら、この文章を綴っています。
無花果は文字だけを見るとまるでお花を咲かせないように見えますが、実際には内側に咲かせているのですよね。
見えないけれど、きちんと咲いている。
最近の世の中はルッキズムが蔓延し人の見た目を判断したり、見た目がこうだから中身もこうなのではないか?と邪推したり
持ち物で人を判断したり
SNSを愛用する私が言えたことではないですが
インターネットの普及もあり、何か外見的な部分が内面よりもとても重視される世の中になっているように感じます。
私が話したいのは
それが良い、悪いという事ではなくて
やはり、そういうのも価値観の違いだから
議論を展開しても仕方がないです。
勿論、見た目が綺麗なお花と雑草なら
誰かに敢えてお花ではなくて雑草をプレゼントしたい。と思う方はあまり、というかほぼいないでしょうしね。間違っていない。
ただ、内面的な部分
外にお花がないから、中も空なんだろうな。
見た目が良くないから、中身もいまいちなんだろうな。ではなく、常に1歩立ち止まり
外側からは分からない本質的な事に少しでも気づける1人の人間でありたいと感じます。
後は補ったら良いのではないか?と発想の転換が出来たら良いな。と。
雑草を上手く切ってリボン型にして、お花に添えてみようかな?とか。
中身の部分の話をすると 
例えば美しさ等、外見的な部分と性格の内面があるように、努力が目に見えた場合※資格取得した等。 "頑張ったね"と褒められたり、評価されたりするのに、努力が視覚化されなかった際には努力をした中身すらも認めれなかったりする。
だけれど、その頑張った本人は頑張ってますよね。もちろん頑張らずに目標に達しなかった人は除きますが。
結局、目に見えない努力に気づかれない事があるように目に見えない美しさも気づかれない事が多々あると思うんです。
気持ちも文章もそうで、よく話題になる
デートでファミレスや居酒屋に行ったり、パートナーの手料理を食べた。と書くと
"記念日なのにありえない"とかコメントする方が居ますが、結局、そのどこに行った。何した。と書いた方が幸せなら、その書いた文章で表した人生の中身の時間が満足するならそれは
外でとやかくいう人達には見えていない
素敵な時間だから、それで良いし高級店に行った。と書けば"たまにしか行けないんだ" "自慢げ" "高飛車"と、書く人も居るでしょうが
書いた本人は何回もその高級店に行っていても
投稿していないだけかもしれませんし
自慢するような性格ではない方が投稿しているのかもしれないし、分からないですよね。
そこに隠されたことが分からないものです。

外見が綺麗だから中身が醜くない。
外見が綺麗ではないから中身が醜い。
目に見えた成果があるから頑張った。
目に見えない努力は頑張ってない。

私自身が外見も中身も完璧ではない人間ではなく、だからこそ、どれも違和感を感じる言葉たちです。ルッキズムも頑張りも、他のことも
他人からの評価や言葉を軸にせず
自分自身という1人の人間が満足できる人生をおくれる人達が増えたら良いな。と思います。
そんな私もまだまだ人生一回目不器用に生きながら、学んで、傷つかないように私の世界を生きるトレーニング中です。

一緒に頑張りましょう。

一瞬目を閉じたら寝てしまいそうな中、書いている文章なので、いつも以上にまとまりがない気がします。
読んでくださる方がいたらありがとうございます。
おやすみなさい。⸝⋆ 
 朝晩冷える日々が続くので、暖かくして良い日々を過ごしてください。

✎𓂃るる。


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