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重荷 11

ペットなのだろうか。金持ちのやることは分からないから、あり得ないことでもない。だがそんな感じもしない。何より汚らしい。地下鉄で見かけるドブネズミのようでもある。

動物は驚いた顔で私を凝視していた。あまりにも珍しいものを目にしてしまったがために身動きも取れないといったところだ。動物と私はしばらくそのまま見合っていたが、やがてこの場所で相手のことを変だと思う権利を有しているのは私よりむしろ動物の方だろうと思うに至り、それからは好きに検分させることにした。

私が興味を失ったと見て取ってか、動物は少しずつ距離を詰めてきた。警戒心は解かないものの、意外と大胆で、私が視線を外している間に触れるくらい近くまでやって来たかと思うと、恐る恐る匂いを嗅ぎ、やはり解せないという顔でこちらを見た。そして後ずさるようにこちらを振り返り振り返り離れていった。

動物は私からは見えない場所でガサガサと何かをひっくり返していた。私はその音を聞くでもなく聞きながら、闇に慣れた目で窓の外を見ていた。いったい何をしているのか。もうそんな言葉ですら収まりのつかないほどの漂流状態だと我ながら思った。敷かれたレールが思いもよらない結末へと続いていたというのではなく、レール自体が消えてどこにも見当たらない。こんな風になるよと昔の自分に教えてやれればよかったが、言われたからと言ってこんな状況は信じられるものでもなかっただろう。

昔の自分。昔。それはいつ頃のことだろう。振り返ろうにも何の手がかりもないが、何かもっとふんわりと柔らかなものに包まれていた気がする。足りないものは補えばよいし、望むものは手に入る。我慢や犠牲の先には必ず相応の報いがある。それは信じるというほどのことでさえない前提だったような気がする。そんな前提に何の根拠もないというのは、もちろん頭では分かっていたが、そこから外れるのはごく少数の不運な人で、その不運というのも、基本的にはその人の努力不足に起因するものだと思っていた。

もちろん、私は報いを得た。大成功を収めたとさえ言っていい。望んでいた通りの物を手に入れて、それを元手に大きな富まで築こうとしているのだから、その前提に間違いはなかったわけだ。犠牲が私自身を焼き切ってしまうということを見越していなかったというだけで。そしてそうなってしまっては、手に入れたものに何の意味も無くなってしまうということに気付いていなかったというだけで。陳腐すぎて思わず笑いが込み上げた。

その時、再び視線を感じた。部屋の片隅で動物がこちらを見ていた。その口元には何か光るものがぶら下がっていた。

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