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もらいもの(仮)26

二歩。

思うにこういう時ではないのか。いわゆるフラッシュバックというものが起こるなら、これ以上の時はないんじゃないのか。それとももっとこう、八方手を尽くしたのに逃げられないといった何らかの自発的な努力なり奮闘なりが伴わなければそういうものも起こらないのか。走馬灯を見るにも資格がいるというのか。何も思い出さない。脳裏に何も浮かばない。恐ろしいくらいの空白だ。いやほんと。

三歩。

ちょっと。人生の締めくくりまであと二歩しかないのだが。いやこれは何か思ったほうがいい、何でもいいから絶対この世の名残を惜しんだ方がいい。もういくら願ってもそんな機会は来ないのだ。振り返るなら今のうちだ。だから、ええと……。うん……。何があったっけね、これまでの人生……。うーん……。

やっぱり何も浮かばない。

人生という言葉がそもそも重いのだ。いくら甘く見積もっても、やはり私の歳月には人生と呼ぶほどの手ごたえがない。だから思い出そうにも思い出せないのだ。もう十年、二十年、いや三十年の単位で記憶もないのだ。ここにきて私は何ということに気付いてしまったのだ。……いや、そんなことはないぞ。私は決して何もしてこなかったわけではない。働いたのだ。働き通しの年月だったのだ。いろんな仕事を経験した。もちろん苦労もあった。背負っているものが大きかった分、人より大変なことも多かったと思う。だが全てが報われなかったわけでもないし、その時々で私のことを評価してくれる人もいた。私を認めてくれた人は確かにいたのだ。そうだ。その調子だ。その調子で我が人生の総括を。例えば……

四歩。

ああ、もう四歩目。えっと、何だっけ。例えば? 例えば、って何言おうとしてたんだっけ? 仕事で褒められたこと? ……別になあ。今思い出すようなことかなあ。最後に必死で回顧したのがそれだったっていうのもなんかなあ。でも他に何だろう。誰か思い浮かぶ顔は……。ないなあ。親の顔っていうのもなあ。もうちょっと恨んでもよかったのかもしれないけどそこまでの感情もないんだよなあ。他に、うーん……。こういう時アイドルのファンでもやってたらパッとその顔が浮かぶのかなあ。アイドルねえ。そういうのでも何かあると生活にも張りがあったのかなあ。でもなんでかそういうの興味なかったんだよなあ。何なんですかね、実現性のないものに対する自己防衛の反応なのか、どっかの時点で性欲も枯れ果てたよね。もうほんとにことごとく、どうでもよくなっちゃってたよね。漫画読んでもどういうわけか先が全く気にならないし、たまに気まぐれで映画借りても最後まで起きていられない。唯一の楽しみと言えば休みの日にごろごろ寝てることぐらいしかなかったもんなあ。


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