重荷 24
このバッグ、もうどれくらい使っているだろう。蔵前の、若い職人さんが一人でやってる小さな店で買ったんだったな。ということはまだ本郷に住んでいた頃か。十年は経っている。腕のいい職人さんだったんだな。丈夫で未だに綻び一つないし、色合いといい艶といい、革の質感も増している。別に気にして使っていたわけでもないのに身体にもすっかり馴染んでいる。それに絶妙なのがこのサイズ感で、他もいろいろ見たがあんまりピンとくるのがなかったのだ。そうだ、それでわざわざ蔵前なんかまで行ったんだ、あの町工場の一角みたいなところに。職人さんとも話した覚えがある。このサイズが絶妙ですよね、このコンパクトさで貴重品プラス厚めの本も余裕で入る。外で時間潰すことが多いからそこ結構重要で。そうなんですよ。外で本読まれるお客様はよくそうおっしゃいます。小さく見えてもこれ一つあれば十分だって。十年。あれからもう十年か。
その間に何が起こったというのか。
バッグから財布を取り出す。そして中から慣れない形の新札を一枚抜き出し、ポケットに突っ込む。財布は再び元に戻す。
「これ、どうぞ」
そう言って突き出したバッグと私の顔を、男はその粘性の目だけをぎょろりと動かして眺める。
「ね、ほら取って。バス来たから」
私はさらに腕を伸ばす。男はのっそりと身を起こしはしたが、こちらを見るばかりで一向に動こうとしない。ふむ。きっと距離感の問題なのだな。動物と同じ。野良猫だって餌くれる相手に誰彼構わず尻尾振るわけではないからね。そっと壁の傍にバッグを置く。さようなら、蔵前のバッグ。スマホも時計もパスポートも時計も何もかも、私という人間を証明するものの全てがコンパクトに収まったバッグ。長い間お世話になりました。もう行くね。じゃあね。
明るい方へ歩き出す。私が本当にこの場を去るつもりだと見て取って、男は案の定バッグを貪るようにひったくり、中を漁り始めた。だがそれは背後の気配に感じただけで、私は振り返りもしない。だってバスが来てるから。これからあの楽しそうな二階建てのバスに乗るんだから。
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