一人と六姉妹の話 7
平日に毎日預けられている母方の祖父母の家であれば、一つ上と一つ下の従兄弟たちがいて、ご陽気者の彼らと共にファミコンしたり、遊びに行ったり、近所のAコープにお菓子を買いに行ったりと、退屈せずに過ごすことができるのだが、東畑には知り合いの子供もいないし、店もない。家には何となく共通の血の濃い感じのするじいさんばあさん、おじさんおばさんが絶えず出入りしている。誰か知らないその大人たちのほとんどは私のことなど眼中にもなさそうだが、たまに「あんたはどこん子な」と尋ねられることがあって、そういう時は司の娘(あるいは正義の孫)だと答える。するとそれだけで相手は満足し、やはり私は関心から消える。
薄暗い物置の中にはビール瓶や一升瓶のケースと共につぶつぶオレンジだとか野菜ジュースの缶が箱で置いてある。酒のつまみも引き出し一杯に詰まっている。それを知っている私は、とりあえずジュースを一本、それからイカのフライか何かを挨拶代わりに失敬すると、家の裏手に回る。そこには山の水を引いた小さな池がある。水道が引かれる前はその水を飲用とし、その場所を洗い場としても使っていたようだが、今は鯉の池になっている。縁側に置いてあるバケツから餌を一掴みすると池に投げる。しかし日頃構われ慣れていないせいか反応が鈍い。浮いたままほぐれていく餌を眺めながらジュースを空け、イカフライを齧る。やることはこれで終わりだ。
家の中にはあまり入りたくなかった。広い座敷では酒臭いおじさんたちが何やら騒いでいる。おばさんたちは台所で何やらやっている。父も母もその中に溶けてしまって区別もつかない。何か暇つぶしのできそうなものを探しても、唯一子供向けの感じがするのはヤン坊マー坊のカレンダーくらいだが、それにしたって別に絵が描いてあるだけで中身はただの農事歴だし、他に見つかるものと言えば新聞か町報か『家の光』という農協の雑誌くらいで面白くも何ともない。
やっぱり居間に行くしかないか。あそこなら少なくともテレビはついているし……。重い足取りを引きずって、模様入りガラスのはめ込まれた引き戸を開ける。ああ。これが憂鬱なのよ。この印象なのよ、東畑は。
居間の戸を開けたところの左側の角。そこには男連中のカテゴリからも女連中のカテゴリからも外れたひいばあちゃんが座っている。擦り切れた古い座布団の上で小さな背中を丸め、擦り切れた古い着物を着て、一言も言葉を発することはなく、つけっぱなしのNHKを見ている。それは本当にもう数百年間ずっとこのままだったのではないかと思われるような姿で、文字通りそこだけ時間が止まっている。
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