一人と六姉妹の話 5
いや、先走ってはいけないな。何でも物語にしようとするのは私の悪い癖だ。都合よく話を動かしてはいけない。人を登場人物扱いしてはいけない。私はもうそんな不誠実な仕事とはすっぱり手を切ると決めたのだ……話がそれた。で、何だったっけ。ああそうだ、1940年の出来事なんだから、二女は一方的に父親から勘当を言い渡されたのではなく、自分の意志で出て行ったのではないかということだったな。同世代の人々の洗練度合いを見ても、その辺りの感覚は今の私たちとさほど変わらなかったのではないかと。しかし改めて冷静に考えてみると、レヴィ=ストロースがブラジルの奥地でボロロ族とかナムビクワラ族に接触したのも1930年代半ばごろの話で、ほとんど同時代だ。ナムビクワラ族は素っ裸で地べたに寝、バッタ食って飢えを凌いでいた。翻って当時の九州の農村では、バッタ食うほど困窮はしていなかったのではないかな、でも戦争中だから分からない。だがその生活は、サリンジャーやケルアックのいた世界とナムビクワラ族の世界のどちらに近かったかと考えると……。
再び話はそれる。だがこれは文学というものに向き合う時、根源的なところで常に付きまとう疑問だ。私が読むのは先に名前を出した作家たちをはじめ、その多くが海外の18~19世紀の作家たちの作品に偏っているが、その到達点の高さにおののくと同時に、この時代に私の先祖は何を考えていたのだろうかといつも思ってしまう。作家たちがこんなに高度で複雑な内面的葛藤を抱えていた頃、やっぱりずっと山の中で米作ってたの? いや別に米作ってもいいけどさ、それもすごく大事なことだけどさ、その内面はどうなってたの? それを想像できる手掛かりが何もないのだ。土台がない。基礎がない。間をつなぐものがない。作家たちに対等な立場でものを言うための根っこが見つからない。なんでこんなに何も分からないのだろうか。私が怠惰で、調べる努力をしていないからだろうか。もちろんそれもあるだろう。しかしやっぱり圧倒的に手持ちの資源が少なすぎる。
文化や芸術が長い間白人男性の専売特許であったことについては既に長い批判の歴史がある。それを埋める試みも多くなされている。だが私にとってその隔たりは、実感としては何かもう、埋めるも何もない次元のものであり、この宙ぶらりんの立ち位置はほんとにもうどうすればいいのよ、この空白感に関して一体何から手を付ければいいのよ、と常々思ってしまう(ちなみに、この隔たりは海外の作家に対してよりも、夏目漱石や森鴎外、太宰治や三島由紀夫といったいわゆる日本の文豪に対して、より強く私は感じる。非白人であることをゴリゴリの教養で乗り越えようとしたその執念もまた、九州の百姓の子孫で、しかも女である私にはどうしてもよく分からないし、どこにも自分やその祖先との共通点を見つけられない)。
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