ヤモリ 31

何なんだよこれ。何の罰だよ。俺に何の関係があるっていうんだよ。しかし込み上げてくる吐き気に想念は度々断ち切られた。涙で滲む視界を通して再び垣間見たが、真昼の日差しにまともに照らされた滑り台は、触ると火傷しそうなほどに光っているだけだった。

「ちょっと、大丈夫?」
宅急便の配達員がトラックを止めてやって来た。大丈夫、と言おうとしたが喉は吐瀉物に塞がれ、代わりに有馬は動物が苦しんでいるかのような呻き声を上げた。真っ黒に日焼けした中年の配達員は一分一秒が惜しいらしく、困ったような顔をして辺りを見回したが、人気のないのを見るとやむなく携帯を取り出して救急に電話を掛けようとした。しかし有馬は「いいです」とかすれた声を絞り出した。
「それよりあの、坂の上のコンビニに、強盗が入っているかもしれない」
「強盗?」配達員は怪訝な顔をして言った。有馬は酸っぱい唾を飲み込みながら、必死に頷いた。「だから確かめてください」
それだけ言うと有馬は再び割れそうな頭を抱えてうずくまった。「困ったなあ」と配達員は呟いたが、その時携帯が鳴り、再配達の依頼を受けながら「ちょっと待って」と手だけで有馬を制すと、道の向こうの自販機まで走っていった。

買ってきてくれたスポーツドリンクを飲むと気分は大分ましになった。吐くもの全部吐いてしまったからか、実際もう大丈夫のような気もする。有馬はゆっくりと呼吸しながら、少し離れた場所でうろうろと歩き回り、髪を触りながら電話している配達員の姿を目で追っていた。「そうですか。分かりました、じゃあお願いしますー」配達員はこちらへ向かって歩きながらそう言うと、電話を切った。
「どうでしたか?」有馬は尋ねた。
「何もなかったみたいだよ」
「えっ」
「三十分ぐらい前だよね? 通報もなかったみたいだし。念のため見に行くって言ってたけど」
「え……」
有馬は絶句した。そして未だ働きの鈍い頭で必死に自分の見た光景を思い出そうとしたが、店員のあの黒い目や男の手の中で光るものから受けた印象と配達員の事務的な言葉の調子とを結びつけることはどうしてもできなかった。
「ねえ、本当に大丈夫? 家の人に電話して、迎えに来てもらったほうがいいんじゃない? 連絡してあげようか?」
「いやほんと、大丈夫です。僕も携帯持ってるんで」有馬は塾の道具しか入っていないカバンを叩いた。「そう……?」と言いつつも、配達員は鳴り続けている電話を気にして一刻も早くその場を離れたいようだった。
「ほんとにほんとに。これ、ありがとうございました。ほんと助かりました」
有馬はペットボトルを手にしながら人好きのする笑顔を作った。配達員はそれを見ると、軽く手を挙げ、着信音に背中を押されるようにそこから駆け出した。

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