一人と六姉妹の話 4
ん? ちょっと待って。何か今物騒な言葉が出てきたね。勘当? 私今勘当って言ったね。勘当されたの? それだけで? ほんとに?
そう。私の理解ではこれを機にその人は勘当されたということになっている。親からそう聞いたのだったか? しかし親は誰からそれを聞いたのだろうか。親自身が単にそう解釈したというだけだったのだろうか。ふむ。考えてみればやや飛躍があるような気もする。いくら家父長制の色濃く残る保守的な田舎で、女の立場が弱い時代だったと言っても、明らかに気の進まない結婚を拒んだだけで親子の縁を切ることまでするだろうかね。
その人がまだ生きていればちょうど百歳くらいだろうか。ということは生まれたのは1920年前後、この出来事が起こったのは1940年前後ということになる。ん? 1940年? ちょっと待て。それってかなり最近よ? いや、もちろん戦時中ではある。終戦を機にガラッと別なものに変わってしまった国の国民感覚としては、確かに1940年は昔である。しかしあくまでも個人的な感覚として、え、1940年って最近でしょ?
読書ノートをめくってみる。馴染みの作家たちの生まれ年はいつでしょう。ええと、ナボコフ1899年、フォークナー1897年、チャペック1890年、マンスフィールド1888年、ウルフ1882年、ボルヘス1899年……なんかそこら辺多いな。もっと下って、1920年前後生まれの作家と言えば……
サリンジャー1919年。ケルアック1922年。
若っ! ばりばり若いじゃん。何なら今の私なんかよりよっぽど若いじゃん。他の分野はどうでしょう。
ベルイマン1918年。フェリーニ1920年。セロニアス・モンク1917年。デイヴ・ブルーベック1920年。
ばりばり現役じゃん。何ならこれもう今じゃん……。
うむ……。これは何だな。いくら九州の農村の話だとしても、学のない娘の話だったとしても、「昔のことだから」というだけでは言い訳が立たない気がするな。嫁がせるも勘当するも父親次第だったという前提には無理がある気がする。1940年でしょ? いくら海外の文化に触れる機会などなかったとはいえ、感覚の革新といえるようなことは既にいろんなところで同時多発的に起こっていたわけでしょ? これはさすがにもっといろんなことを考えていたような気がするな。
ふと思う。この人は家を出たくて出たんじゃなかろうか。結婚話は田舎を飛び出す後押しとなったに過ぎないのではなかろうか。何ならその明らかに無理のある結婚話は、その人の外向きの志向をたしなめるための重石というか、罰として持ってこられたものだったのではなかろうか。
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