一人と六姉妹の話 3
姉妹の父、つまり私にとっては曾祖父に当たる人のことを、おぼろげな影のような印象でもいいから、何か知っていればよかったのだけれど。私は祖母の生家について、大体あの辺だということを知っているだけで行ったことはない。姉妹たちが嫁いだ後、生家がどうなったかもよく知らない。その家の姓さえ知らない。顔を合わせたことくらいはあったのかもしれないが、どのお婆さんが祖母の姉たちだったかということも知らない。当然、曾祖父の写真なども見たことがない。ただ僅かにその人に関する情報として私が持っているのは、祖母の葬儀に来た数人の人達(誰かは知らない)が私の父を見て曾祖父の生き写しだと驚いていたことと、当時の人としてはかなりの大男だった(身長180センチくらいか)ことくらいだが、その内面や性格についてはやはり何も知らない。
だから、明らかに幸せになれるわけのない、いや、幸せ云々という尺度では全く測りきれない結婚話をどういうつもりで娘に持ってきたのかが分からない。その同世代の男やもめというのが、よほど仲のいい友人だったのだろうか。それとも何か負い目があったとか、男がすごい金持ちで、結婚すると何かメリットがあったとか? しかし、だからと言って二十歳になるかならないかの実の娘を自ら五十男に差し出すだろうか。それとも、娘なら六人も七人もいるんだから一人ぐらいどうかなったって別に、という感覚だったのか?
だが一方で、その結婚話をまるで人身売買とか奴隷契約のようだと感じるのは、あくまでも現代の感覚に過ぎないのだろうとも思う。つい最近、たまたま引っ張り出してレヴィ=ストロース『悲しき南回帰線』を読んでいたのだが、部族にとって婚礼は何よりもまず戦略を意味するものであるし、今なお幼児婚や一夫多妻の慣習が残っている国においてもそれは同様だろう。もっとも、消えた二女を除く六姉妹の結婚相手は皆年齢相応で、私の家を含め、どの婚家も別に金持ちではないから、結婚によって相手方からの利益を引き出すといった戦略的な意図は感じられない。そう考えると二女の結婚相手がそういう人だったというのも、「たまたまそこに嫁を探している人がいたから」というくらいの意味しかなかったのではないかと考えるのが自然のような気もする。だが、他の姉妹たちの結婚にも同様に無頓着だったならともかく、三集落に二人の娘を手際よく配置した曾祖父である。だからやはりその結婚が二女にとっての幸福につながるという目算がそこにはあったのかもしれない。
分からない。全然分からない。一つ確かに分かるのは、二女がその話に「冗談じゃない」と感じたということである。そしてそれを言葉にして拒否した時、彼女は家から勘当されたということである。
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