一人と六姉妹の話 17
しかし話はそれで終わらなかった。親戚一同の好奇心の熱が一通り落ち着いて半年ほど経ったころだろうか。東京で日常に埋もれていた私の元へ母から電話が入った。送る荷物の受け取り日時を尋ねる電話だったが、用件の最後に「そう言えば」と母が口を切った。
「下渕(父の年長の従兄の家)に何か届いたらしいよ。あのおばさんのが」
「何かって何? あのおばさんって誰」
私は少し苛立ちながらそう言った。母の電話は要領を得ないことが多い。特に、血縁地縁に関することなど夢の中の荒唐無稽な出来事同然にしか感じられない東京にいると、「らしい」から始まるこの手の話は最後まで聞いても「だから何」と言いたくなることが大半だ。そもそも日時が知りたいだけなら電話でなくてもいいだろうに。
「あのおばさんて、あれよ、神戸の」
「えっ」思いがけない話に私の苛立ちも吹き飛んだ。
「それがね、よう分からんのよ。入っちょったのは聖書とスーツ……」
「は? 聖書?」
「そう、それとスーツ。立派なのが何着も」
「何それ」
まったくもって飲み込みづらいワードだ。スーツはともかく聖書? いやスーツも分からない。スーツ? スーツって何?
「何かね、先生とか呼ばれるような人やったらしいよ」
「何の?」
「分からん」
分からん、か……。私は母の言葉足らずを怨んだ。しかし私にも皆目見当がつかない。聖書ということはキリスト教徒だったということなのだろうが、それが先生ということは教会で何かを教えていたということなのだろうか。だが教会で教えると言ったら普通キリスト教の教義とかになるのではないのだろうか。違うのだろうか。身近にキリスト教の人がいないから分からない。ということはシスターだったってこと? いや、でもスーツ? だから何よスーツって?
「……んーとさ、じゃあ、その先生っていうのはどこから出てきた言葉なん? 実際にそう聞いたん? それとも何か別の言葉で聞いたけど思い出せないから代わりに先生って言いよるだけ?」
「は? 質問の意味が分からん。もう一回言って」
ぐぬぬ……。
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