ヤモリ 44
その有馬は二十歳を迎える前に死んだ。その報せは彼を知る人々に大きな衝撃と混乱を与えた。何しろ誰一人として有馬と死のイメージを結び付けることができなかったからだ。表向きは病死とされた。そして密葬の内に家族も口をつぐんでしまったから、本当のところは誰にも分からない。ただ病死でないということだけは誰もが確信するところだった。
彼の足取りとして分かっているのは、地元の私大に進んだ後に中退したというところまでで、それから先の情報は錯綜していた。ある人は、有馬は東京でバンドをやっていたはずだと言ったし、またある人は料理人に弟子入りしたのではなかったかと言った。介護の専門学校に行ったはずだという人もあったし、自衛隊に入ったと聞いた人もあった。どの話にもそれなりの信憑性があって、しかも彼自身からそう聞いたと主張する人さえ少なくなかったが、話同士の関連性や一貫性は全く見えず、ただ一つ共通して言えるのは、有馬が何をしていたにせよ、そこに死を予感させるものが入り込む余地はないということだけだった。
何か人に言えないような事件に関わったのではないか。口には出さないものの、心の内で人々はそう考えないこともなかった(有馬は誰とも親しかった一方で、人気者の有馬が自分のことを一番の親友だと思ってくれているとは誰も思っていなかったから、包み隠さず本当のことを話してくれているとは心のどこかで思っていなかったのである。それは異性関係にしても同様で、来る者は拒まなかったから相手が途切れることはなかったが、ふとした時に上の空になる有馬を見ると、どの相手も自分に気持ちはないのだろうと悟ったものだった)。だがそんな妄想が像を結ぶ以前に、脳裏にはあの明るく人の好い有馬の笑顔が浮かんで、何考えてんの、あの有馬だよ、そんなことは絶対にあり得ない、と自ら首を振って打ち消すのだった。
その頃はそんなふうに有馬の死が皆の心の一角を占めていたから、成人式はほとんど有馬の追悼式と化した。だが話せば話すほど分からなくなってくるし、満艦飾のいで立ちで、人生で一番浮足立った気分の時にそんなややこしい話はそもそも似合わない。そこで、湿っぽいのはきっと有馬も嫌がるはず、と楽しかったことだけを思い出そうとしたのだが、彼はそこにいる全員の十代の思い出の中心に埋没していて、そこから彼一人のことを抜き出すのは困難だと気付くに至り、大っぴらに飲めるようになった酒の酔いも手伝って、集まりは単なるお祭り騒ぎと化していった。
二十歳にして一同は感傷が最高の酒の肴であることを知った。「なんで死んじまったんだよー」と、カラオケ屋で泣きながら叫ぶのは最高に気持ちが良かった。条件反射の涙を引き起こす歌のワンフレーズのように、皆は有馬の死を味わった。だがおそらく有馬自身もきっと自分が死んでしまった本当の理由など分からなかっただろうし、自分の死で何となくみんなが悲しく切ない気分になったと聞けばそれだけで十分満足しただろう。だからこれでよいのだ。こうして有馬の人生は皆の中に昇華され、謎は謎として永遠の中に取り残されたのだった。
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