一人と六姉妹の話 8
しかし考えてみれば、十五、六で祖父を産んだ曾祖母はこの当時まだ七十代のはずで、そんなに言うほど年寄りではなかったはずだ。事実、微動だにせず座っているこの人は、耳こそ少し遠かったが、身体が悪いわけでもなかったし、耄碌しているのでもなかった。しかし、図らずも母が祖母と区別するためこの人のことを「古いばあちゃん」と呼んでいたように、子供の私にとってこの人は何かもう絶対的に「古いもの」として映った。自分と同じようにこの人にも子供の頃があり、若い頃があり、やがて年月を経て高齢の域に達した、という認識ではなく、何か初めから全く違う時空に属す存在のような、いわば古刹の仏像のようなものだと思っていた。生きているようにも死んでいるようにも見えないし、あるいはそのどちらのようにも見える。新聞を読んだり、テレビを見たりしているから、いろいろ分かってはいるのだろうが、曾孫である私に何か親しげな態度を見せるということはなく、こちらを認識しているのかどうかも分からない。誰かと話しているところを見たこともないし、感情があるようにも思えない。ただある時、私の母がその人に、手が届かないから足の爪を切ってくれないかと頼まれたことがあり、切ってやっている間、その人は様々な心情や思い出を切々と語ったという。「あのばあちゃん、何でも喋りんしゃったよ。いい人やし、しっかりしちょんしゃあよ」と母は言ったが、それを聞いた孫である父は「いや、そげなはずはない」と即答であった。父が何を根拠にそう言ったのかは分からないが、その答えには私も同意で、母の話は何か、マリア像が血の涙を流したといった類の話のようににわかには信じがたかった。
とにかく通じ合える相手ではないと思っていた。だから裏番組で何か面白そうなのをやっていても、チャンネルを変えていいかと交渉することなど夢にも思わなかった。ひいばあちゃんの座布団の下には別の時空に繋がる穴があいている。あのぼろぼろの座布団とぼろぼろの着物を着たひいばあちゃんはそれを塞いでいる蓋なのだ。しかし穴から染み出してくる「古いもの」はあの座布団とボロボロの着物のひいばあちゃんを通じて居間全体を満たし、私まで別の時空へ引っ張り込もうとするのだ……。私はなるべく曾祖母から距離を取る。そしてテレビに映るのど自慢に全神経を集中させる。考えない考えない。ほら、今の歌の鐘の数は……。
その時、ガラガラと引き戸が開いた。
「ああ、邪魔くさい!」
罵言と共に現れたのが、祖母であるスミエさんであった。
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