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一人と六姉妹の話 2

どげなっちょうと? あんた知っちょった? 当然、同様の連絡が入った父の姉弟やいとこたちも騒然となった。末娘の祖母をはじめ、六姉妹は全員が亡くなっているので、事情を知る者は既にこの世にいない。とりあえず父たちは戸籍を調べた。するとそこには、誰もが六姉妹だと思っていた娘たちは実は七姉妹で、神戸の人はその中の二番目だということが確かに記載されていた。

そしてここから先のことは永遠に答え合わせのできない推論だ。真実は一通りでない、というのは、もはやレントゲンとか飛行機の搭乗前に義務付けられた説明と同じくらい自明で陳腐なクリシェだが、この些細だが興味をそそる謎によって、私はそのままならなさを身をもって知ることになった。しかし見も知らぬ祖母の姉に限らず、どんなに近い身内でもその存在は想像を抜きにして把握することはできない。例えば父は私にとって謎の塊であるし、きっと私自身もやがて子供が気付いた時には謎の塊になっているだろう。でもそれでは誰のことも何も分からないことになってしまう。だから想像によってその素描を補っても許されないことはないだろう。少なくともその想像というのも、決して好き勝手なものではなくて、自分の思う真実に基づいてはいるのだから。

その人は、相続人として全く付き合いのなかった甥姪に連絡が行ったということからも分かるように、子供はいなかった。婚姻歴もなかった。また、年長の甥姪でもその人に会ったり、話に聞いたりした記憶がないことから、かなり若い段階でその人は故郷を去ったのではないかと考えられた。でもどうして? この時全員が思い浮かべたのは、その人は、父親が見つけてきた縁談を拒否したのではないかということだった。だがこの時の話し合いでたどり着いたのはここまでだった。

田舎の人間関係は狭い。それはもはや人間関係というドライな表現を超え、そこにいる全員に多かれ少なかれ同じ血が流れているのだろうと自然に納得できるような雰囲気としてそこにある。そうした同質性と時代の進歩がかみ合わないのは当然のことで、田舎の生活に特に批判的でない私の両親でさえ、集落からは少し離れた都市部に家を構えた。だから私はその関係性の濃密さを現実的には知らない。ただ少し距離のあるところから、そこに属す資格だけ有する部外者として眺めつつ育っただけである。だからその情報が本当なのか何なのか、正確なことは分からない。だがおそらくそれは、その窒息しそうな雰囲気の中に八十年近くの時を超えて漬け込まれていた本当なのだろうと思う。

その情報は、甥姪たちの話し合いの後、そのうちの一人が近所の年寄りから聞いた噂としてもたらされた。その内容は娘たちの一人が娶せられた相手に関するものだった。その相手というのは父親と同世代の子沢山の男やもめで、娘は女手としてその家の家事や育児を担うために嫁がされることになっていたというのだ。

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