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それから二か月近く、私は敢えて祖父の容態を尋ねなかった。死んだらどのみち言ってくるだろうし、何も聞かないということはまだ生きているということなのだろう。何より相手は野犬なのだ。老いて弱ったところを目の当たりにしたからといって、急にペット感覚で気にかけるというのもおかしい。そういう考えからだった。
そんな中、今度は両親が私の家へ来た。夏休み中の子どもと遊ぶためだ。川へ行ったり、プールへ行ったり、いろいろと相手をしてもらえるのはありがたかったが、なぜか祖父の話は一向に出てこない。だが別に避けている風でもない。これまで敢えて聞かないことにしていたものの、それこそが一番の関心事であった私は、痺れを切らして祖父は今どうなっているのかと尋ねた。
「復活した」両親は、思いもよらないことを聞かれたという顔で答えた。
復活。百歳の復活がどんな状態を指しているか、私にはピンとこなかった。寝たきりだが命は繋がったという意味なのか。車椅子で、あるいは杖をついて移動できる程度には戻ったということなのか。そして、私が誰かも分かっていないようだったが……。
「元に戻ったんよ」と造作もなく母は言った。まだ病院にいるが普通にすたすた歩いている。悪いところはどこもない。むしろお医者さんや看護師さんに構ってもらえるのが嬉しくて非常に機嫌が良い。
「でももうボケて分からんごとなったんやないの?」
「いいや、全然」母は言った。「ああ、ただね、運ばれた時の前後何日かの記憶がないみたい。『俺はなしここに来たかの?』ち言いようらしいよ」
「じゃあ今度そっち行く時まで生きちょうかね」
「そら生きちょうやろ」
拍子抜けする私をよそに、「どうするかねぇ」と父が頭を抱えた。曰く、このまま年相応に衰弱し、施設にでも入ってくれることを皆が期待していたが、祖父は再び山の家に帰る気満々らしい。そしてこの調子だとおそらくそうなってしまうだろう。祖父が不在の間に兄弟で大々的な片付けを進め、今ではだいぶ家の中もきれいになっているが、一人で好き勝手に暮らさせていたらいつまたこんなことになってしまうか分からない。
と、その時「あ、でもそう言えばね」と母が言った。「昨日長崎(の伯母)から電話があったけど、じいちゃん、コロナになったらしいよ」
コロナ? なぜそんなホットな話題が今の今まで出なかったのか。
「全然何ともないらしいもん。病院の中の話やき、こっちですることもないし。陽性の人だけ上の階に集められちょうらしいけど、移動するとき看護師さんに『長生きしたら面白い目に遭うもんたい』ち言って、却って喜びよったらしい」
何という……。こちらの想像をはるかに上回る生命力に言葉を失っていると、父がぽつりと呟いた。
「コロナに、頑張ってもらうしか無かろう……」
その目は笑っていなかった。
終
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