もらいもの(仮)10
山口さんは口を開けたまま死んだように眠り続けていた。機械のような音を立てて息を吸い込む音と、時折ガクンとうなだれる頭とで、辛うじて生きているということが分かる。私は膝を抱えてそれを見ていた。
冷静に考えてみても、この状況はやばい。やばさで言うとかなり上位に来るものだろう、何しろ生殺与奪の権限を全て相手に握られているということなのだから。叩き起こして問い詰めるのが順当だ。痛めつけてでも真意を吐かせるのが筋というものだ。だが何となく憚られる。こんなに疲れて寝ている人を起こすのは、などと言い訳を探して動こうとしない自分がいる。こういう気の弱さが駄目なのは分かっている。消極的で押しが弱い。学校やバイト先などで昔から再三言われてきたことだがその通りだ。だからこういうことにもなるのだ。ああ、そんなことは自分でもよく分かっている。だが、だ。だが少なくとも今この瞬間は静かに座っていられるのだからこのまま座っていてはいけないものかね。
しかしいくらそうして現実から目を背けていても、空腹ばかりはどうしようもなかった。こんなことになるのなら大事に取っておかずに食べておけばよかった。私は消えたアンパンのことを激しく悔いた。正直、身分証の類が消えたことよりも、こちらのほうがはるかに痛かった。実際問題として、私には相手を起こすために腰を上げるほどの体力も残っていなかったのである。
その時、外廊下を歩いてくる人の足音が聞こえた。引きずるような、緩慢な足音である。くたびれた人しか住んでいないアパートで夜中に聞こえるのは大抵がこんな足音だ。助けを求めるべきか、という考えが頭によぎった。だが、他人の苦境に手を貸すほどの余裕がある人などこのアパートにいるだろうか。いや、それどころではない。今私の目の前で眠りこけている人のように、この足音の主もまた、相手方に取り込まれた人間であるとも限らない。
やがて足音は私のドアの前で止まった。私は息を潜め、身をこわばらせた。のっそりと立つ人の気配がドア越しにそのまま伝わって来る。その圧迫感から言って、かなり大柄な男のようだ。しばらく沈黙が続いた。あるいはほんの一瞬のことだったかもしれないが、静けさがこれほど途方もない重圧として感じられたことは今までない。いったい何をしているのか。良からぬことであるのは間違いない。私を連れ去るつもりか? それとも殺そうとしている? いや、落ち着け。発想が少々短絡的に過ぎる。殺すとか連れ去るとか言うのは簡単だが、そんなことをして何のメリットがある。現実的に考えてみろ。犯罪を行うのに費やす労力やそれで失うものに比べて、得られるものはいくらもない。理性のある普通の人間であれば、そんな選択は……。すると視界に山口さんの死んだような顔が映った。全身の毛が逆立った。
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