一人と六姉妹の話 18
私は口先だけで同じ質問を繰り返しながら考えた。もしかすると、信仰で揉めて家を出たということなのだろうか? ……いや、さすがにそれは考えにくい。生まれた時から顔見知りしかいないような田舎の小さな村の中で育って、小学校しか出ていなくて、そんなことに感化される機会があっただろうか。長崎ならともかく、風土的にキリスト教が身近にあるような地域でもないし、祖母たちを見ていてもそんな片鱗はどこにもない。もちろん、本当のことは分からない。だが二十歳になるかならないかで家族と縁を切り、自分の痕跡を一切消し去って、二度と故郷に戻らなかった理由が宗教というのは、やはりどう考えても唐突だ。
それにしてもキリスト教というのが分からない。今まで考えてみたこともなかったが、どういう感じなのか? 四六時中神のことを考えているのか? 海外ドラマとか見てるとそういう熱心な人というのも確かにいそうだが、日本でそんな人いるのか? いたとしてもそれってどんな生活なのか? ピンとこない。もっとも、聖書が入っていたからといって、この人がそんなに熱心な信者だったと決まったわけでもない。先生と呼ばれていたからといって必ずしもキリスト教に関係することを教えていたとも限らない。第一この人は修道院に住んでいたわけでもなく、自分の家もあったわけだし。……
「それは分からんけど」と再度の私の問いかけを軽く流して(結局分からんのかい)、母は言った。「びっくりするとよ。それ、誰が送ってきたと思う」
「誰って?」
私はこの時、てっきりそれが教会から送られたものだと思い込んでいた。それもこれも聖書というワードの強さのせいだ。
「びっくりするとよ……」母はもったいぶって溜めを作りながら言った。「一緒に暮らしよんしゃった人がおるらしいんよ」
「え、一人暮らしじゃなかったん」
「そう」
これもまた意外な情報だった。内縁関係の人がいたのか。何となく、一人で飛び出して行って最後まで一人の人生を貫いた人かと思い込んでいた。だが、まあそうだよな、都会で誰かと出会う機会くらいあっただろう。勘当された手前、正式に籍を入れることはできなかったのかもしれないが、誰かと一緒だったというほうが話としては自然だ。
「その人もおばさんが亡くなったのとほとんど同じ頃、何か月もせんうちに亡くなったらしいんよ。そうやき荷物はその人の身内の人が送ってきんしゃったんやけど」
「うん」
「その人、女の人なんよ」
「うん?」
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