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一人と六姉妹の話 9

……あれ? スミエさん? この人が? 何となく、運命に抗えず、若くして泣く泣く嫁いできた、か弱い哀れな末娘のことを思い浮かべていたのだけれど。鬼のような顔をしている。そして出るわ出るわの悪口雑言。役立たず、目障り、臭い汚い。まさに息をするように吐き出されるそれらの言葉は全て曾祖母に向けられており、ただ同じ家で生活しているというだけなのに、憎悪の燃料がよく尽きないものだと感心するほどだ。曾祖母は相変わらず石のように固まりぴくりとも動かない。そして新潟県村上市の団体職員佐藤さんの歌唱に全意識を集中させている私に祖母は優しい笑顔でこう言うのだ。

「よう来たね。スイカ切ったき食べんしゃい」

私にとって祖母とはそういう人であった。

今思えば、足の爪を切ってやった母のように、この光景を見れば虐げられた曾祖母に肩入れしたくなるのが自然だろう。祖父方の親戚(と思われる人々)がしばしば囁き合っていたように、あの人はほんに根性が悪い、意地が悪い、そうとしか言いようのない側面が確かに祖母にはあった。これが祖母の生来の性格によるものなのか、それとも何か理由があってこうなったのかは分からない。だが、父がごく自然に語るところによると、父は子供の頃、自分の母親はこのスミエさんではなく曾祖母の方だと思っていたらしい。曾祖母は長男である私の祖父を筆頭に十人の子供を産んでいるのだが、その末の子供と父は四、五歳しか離れていない。父は自分をそちらに連なる子供だと認識し、スミエさんと実の姉弟は自分とは別の家族だと思っていたというのだ。実際、私が見る限りでも父と祖母、そして父と伯母叔父の精神的な繋がりは非常に希薄だ。しかし、子供が自分の家族を、特に母親を間違うことなどあるのだろうか。生まれてすぐに里子に出されたのならまだしも、ずっと同じ家で暮らしながら実の母親に全く親近感を抱かず成長することなどあるのだろうか。その辺りの整合性のとれなさからも、祖母と曾祖母の間で過去に何かあったのだろうと推測はできる。しかしその真相について語ることのできる人はもういない。

とにかく東畑にはそのようなよく分からない相克の痕跡があった。張りつめたような何かがあった。そのせいで息が苦しくなるような空気があった。それが私がここを苦手な理由であった。

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