25-2
翌日は打って変わって快晴だった。日差しは容赦なく照り付け、気温も急激に上がった。祖父のことが気がかりではあったが、私の話を聞いた両親がそれを全く深刻なことと受け止めなかったこともあり、午前中は元の予定をこなした。しかしそうは言っても、流されたか野垂れ死んだか、薄々感づいていながら平気で放置しておけるほど私も図太くはない。やっぱり、ということになった時の後味の悪さを考えると居たたまれず、午後に再び山の家へ向かった。
祖父の姿はやはりなかった。大雨の間は仮に弟妹の家に身を寄せていたとしても、雨が上がっているのにまだ戻っていないというのはおかしい。それに何より、家の中に生活感というか、そもそも生命が宿っている感じがしない。「何やろ、気持ち悪い」と付いてきた母も言った。やはり田んぼだろうか。田んぼに行ったのなら長靴がないはずだ。だが玄関を見ても、乱雑に物の散らかった中、泥の付いた長靴は何足も無造作に脱ぎ捨てられていて何の証拠にもならない。となるとやはり外を見に行くしかないだろうか……。そう思った時、家中の部屋を見て回っていた母の悲鳴が聞こえた。
この家はどこもかしこも野放図に、荒れるに任されているが、それでも遠方の叔父伯母が必要に迫られ滞在しなければならない時もあり、その際に使う一室だけは何とか文明の側に確保されている。すぐに使えるタオルや布団、ベッドやテーブルなど一式を保管した、普段は閉め切ってある物置同然の部屋である。母の声が聞こえたのはそこからだった。
駆け付けるとそこに祖父が倒れていた。室内は、足を踏み入れるのに躊躇するほどの湿気と高温、そして悪臭に満たされている。一体いつからこの状態でいるのか、その中で祖父は全身を毛布にくるまり、ベッドと壁の狭い隙間に仰向けに挟まりこんでいた。悪臭は垂れ流しの糞尿のためだった。白っぽく淀んだ眼は焦点も定まらず虚ろに見開かれている。これだけを見たら間違いなく死んでいると思っただろう。しかし祖父は死んでいなかった。なぜなら、祖父は毛布から突き出した両腕でつやつやの新鮮なミニトマトの一杯入ったかごを抱え持ち、口だけをもぐもぐと動かしていたからである。
「……トマト……」
母は呆然とそう呟いた。床には真っ赤に輝くミニトマトが無数に転がっている。沈黙が続いた。そして、もぐもぐしていたトマトをようやく飲み込んだ祖父はたった一言、「動かれんたい」と言った。
何はともあれ、救出することが最優先だった。ずっと同じ姿勢でいたためか、それともどこか折ったのか、少しでも動かすと激しく痛がったが、何とか隙間から身体を引っ張り出すと、汚れを拭いて水分を取らせた。朦朧としているところはあるが、一応会話はできる。ほとんど条件反射のようなもので、母に対しては「俺ぁ絶対病院には行かん。家は出ん」と言い張ったが、普段見慣れない私に「点滴だけでもしてもらったら楽になるんやない?」と言われると何となくその気になったようなので、救急車を呼んだ。
保険証を探したり、入院に必要な物品を集めたり、バタバタ慌ただしくはあったが、とりあえず収まるところに収まりそうだという安心が得られるとにわかに疑問が湧いてきた。いつからあの状態でいたのだろう? しかもなんであの部屋に? そして何より、あのトマトは……? 緊張と疲れと暑さとでぼんやりしている脳裏に、死にかけ爺と新鮮トマトの強烈な対比がダリの絵のように浮かんでくる。片付けの手を止め、ふと「トマト殺人事件になるとこやったね……」と訳の分からない言葉を呟く母も、私と同じ光景に囚われているようだった。
続く