ヤモリ 23

「それで……」有馬は口ごもった。「いいや。なんかよく分かんない」
「ふうん」

二人はしばらく無言で歩いた。向かい側からやってきた若い男が並んで歩く二人の姿に目を丸くして自転車を止めた。若い男が有馬に向かって「彼女?」と口の動きだけで尋ねたのを直子は視界の端で見た。有馬は直子に気を遣いながらも声を出さずに「違います」と答え、男に手を振った。男はいかにも可笑しいものを見たという顔で再び直子を盗み見ると、笑いを堪えてそのまま行ってしまった。

「……ごめん」と有馬は言った。
「別に。一人で行きなよ。一緒にいると変な感じでしょう」
「いや……」
有馬は直子を見た。直子は顔色一つ変えることなく前を見て歩き続けていた。有馬もとぼとぼとその隣を歩いた。直子はそれを鬱陶しがっているようですらなかった。まるで俺なんて初めから存在していないみたいだ、と有馬は思った。何かがあったことはあったんだろうけど、それすらもなかったみたい。だから何聞いたって答えるわけないし、俺がいたって何の意味もないんだろうな。

子供の頃から見慣れた街は青白い街灯の下でいつもと違う横顔を見せていた。いつも誰かしら友達が傍にいて、ふざけながら歩く道も今は静まり返って人気もない。有馬は歩道の上に並んだ二人の影を見ながら、ふと呟いた。
「どうしたらそんなふうにいられるの」
呟きは静寂の中に吸い込まれた。沈黙が続いた。しかしぽつりと直子は言った。
「……生まれつきだから」
反応があるとは思っていなかった有馬は驚いて直子を見た。だがやはりそこには自分に理解できるどんな感情も読み取ることができなかった。

二人の横をタクシーが通り過ぎた。その音も次第に遠ざかり、やがて消えた。

「俺ずっと楠本さんと話してみたかったのかもしれない」と有馬は言った。

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