ヤモリ 16
「静かにしてもらえませんか」
直子は女に近付くと、影の中に身を置いたまま言った。気持ちは抑えたつもりだったが、舌が引き攣れ、つんのめるような早口になった。濡れた靴を脱いでいた女は不意のことで何を言われたのかも分からず、直子のほうを向いて笑顔のまま固まった。気の強そうな、綺麗な女だった。
男もそれに気付いて遊びを止めた。その時直子は、近付いてくる男に見覚えがあるのに気付いた。そしてそのまま歩き去ろうと思った。しかし、背を向けた直子に絡んでくるかのように男は声を掛けた。
「どうしたんですかー? なんかありましたー?」
直子は立ち竦んだ。勢いだけで声を掛けてしまったことを激しく後悔した。しかし自分から始めたやり取りを今更中途で投げ出すわけにもいかない。直子は二人に背を向け、うつむいたまま目線だけを後ろにやって「静かにしてください、公園なので」と小声で言った。
「何言ってんのこいつ! ウケるんだけど!」女が笑った。
男は闇の中に立つ直子の制服をしげしげと見ながら、「南中じゃん……」と呟いた。そして直子の前に回り、その顔を覗き込んだ。
「ああ、知ってる!」と男は声を上げた。「長尾小の人でしょ?」
「……そうです」直子は仕方なく答えた。
「えー、そうなの? なんで知ってんの」女が言った。
「なんでっつうか……なんか知ってる。ねえ、知ってるよね」
直子はできるだけ相手に見えないように顔を背けながらも頷いた。男は、直子が小学生の頃、遠足で一緒の班になったことのある年上の男子だった。一緒に遊んだのはその時だけで、名前も覚えていなかったが、なかなか周りに馴染めない直子を遊びの輪にうまく引き込んでくれた彼に対しては好ましい印象が残っていた。もちろんそれは恋愛感情などと呼べるほどのものではなかったが、周囲が恋愛話で盛り上がっている時などに漠然と思い浮かべるのはその時のその人のイメージだった。
「でもまだこの人中一でしょ?」と女が言った。
「中一……だっけ?」
男は見定めようと直子に更に近付いた。直子はその視線から逃げるように「中三です」と答えた。耳ざとくそれを聞きつけた女は「はあ? 中三? マジで?」と素っ頓狂な声を出して笑った。「こんな中三、いる!?」
直子は一刻も早くこの場を立ち去りたかった。
「すいません、静かにしてほしかっただけです。一人になりたい人もいるので」
「じゃあ帰ればよくない?」と女は言った。
その時、男が「あー、思い出した!」と叫んだ。「鉄道公園で、遠足の時ね! 遊んだ遊んだ。遊んだけど……そん時と全然変わってなくない? 見た目」
女が笑った。「何それ。嘘でしょ」
「マジでマジで。いや、だからなんか見たことあるなーと思ったけど、あれ、いつだったっけ?みたいな」
「でもそうだよね。これどう見ても小学生じゃん」
直子はいたたまれなくなった。そして思わず駆け出した。
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