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もらいもの(仮)4

「あ……」
と言ったまま私は口をつぐんだ。

考えてみれば、それはそうだ。理由もなく親切にしてくれるお人好しなどいない。好意と引き換えに相応の見返りを求めていると考えるのが普通だし、とりわけ財産も将来性もない中年男に何を求めるかといえばその肉体ぐらいしか残ってない。

だが私はそんな特殊な状況に自分が陥るとは夢にも考えたことがなかった。そんな世界があることくらいは知っていたが、話に聞く世界の広さや深さ、複雑さや面妖さは工場と部屋の往復のうちに終わる自分の世界とは決して交わらないものだと思っていた。人との関わりがあまりに希薄過ぎたのだ。数百円の餌代と他愛もない世間話であっさり胸襟を開いてしまった自分が、我ながら世間知らずの大変おめでたい人間に思えた。

だがその一方、この期に及んで相手の気を悪くしたくもなかった。やはり私はおめでたい人間だ。この居心地の良さが続くなら、と一瞬気持ちが揺らいだのも事実だ。そもそも恋愛にまつわる私の経験など、目を凝らしても見えないほどの遠くに霞んでいる。今となってはもはや異性に興味があるのかどうかさえよく分からない。……いやしかし、だから別にもう男でもいいというものでもないだろう、アメリカの監獄にいるわけでもあるまいし。

「えっと……。そうですねえ、私そういう方面は、うーん……」

その人はじっと正座したまま、言い淀む私の顔を探るような上目遣いで凝視していたが、急にハッとすると「あっ、違います違います!」と大きく手を振った。

「ごめんなさい、なんか、変な風に思いました? そうですよねえ、まあそう思いますよねえ。すいませんすいません。いや、でも全然、そういうんじゃなくて」
「じゃあ、どういう……」
「どういう、っていうのも、うーん、ねえ、なんて言ったらいいのかなあ。そのほうがいろいろ都合がいいというか、うーん……。すいませんね、ちょっと説明が下手で」
「はあ……」

その人はそれきりその話題を切り上げてしまったから、その目的は結局よく分からなかった。何事もなかったかのようにその人は振舞ったが、その後は何となく会話も弾まなくなって、ほどなく私は引き上げた。自分の部屋に帰ってからもしばらく私はその人の言葉の真意を考え続けたが、闇バイトとか、やはり何かそんなよからぬものに誘われたのだろうとしか思えなかった。

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