ヤモリ 27
「笑っちゃうのはしょうがないですよ。だってあいつが変なこと言うから」
講師は顔も上げず、便箋に何かを書きつけていた。積み上げられたノートが邪魔をして、その内容を読むことはできない。でもこうやって俺を切る機会を探ってたんだろうな、と有馬は思った。
「それに先生、他の人だって笑ってましたよ」
言い訳をするな! 他は関係ないだろう! 普通ならそう言われるんだけどな。しかし講師は初めから会話をする気もないらしかった。有馬は所在なく立ったまま、その笑いの大もとの原因となった講師の薄くなった頭頂を見下ろしていた。まじまじと眺めていると、そんなに面白いものでもない気がした。
まあ、言いにくいだろうな、と有馬は思った。姉ちゃんもここ来てたし、親とも昔から知り合いみたいだし。でも個人経営の進学塾なんて結果出してなんぼだろうし、何べん言っても分かんない俺みたいなやつの世話してる暇なんてないってことなんだろうな。まあ、そんなことは最初からなんとなく分かってたけど。
講師は書き終えた便箋を丁寧に折ると、名入りの封筒にそれを入れた。
「これをご両親に渡して」
「はい」
有馬は素直に受け取り、頭を下げて職員室を出た。
「怒られた?」
教室に戻ると、級友たちがニヤニヤしながら有馬の帰りを待ち受けていた。
「ううん、別に」
「あいつのこと言ってたってバレた?」別の中学だが塾ではいつもつるんでいる長島が言った。
「いいや。でもこの距離で見てきた」有馬は手で自分と講師の頭頂との距離を作った。「あれは、やばい」
周りがどっと笑う中、有馬も笑いながら荷物をカバンにまとめ始めた。
「何お前、もう帰るの?」長島が言った。
「うん。残りは家でやって来いって」
「マジかよ! いいなー。ずるいだろー」
「大体お前が笑かすからだろ」
「えっ、俺!? 俺何もしてないけど」
長島は授業中に有馬を笑わせた顔をまた作った。会話に聞き耳を立てていた周囲の女子たちもそれを見て一斉に笑った。
「マジでお前ふざけんなよ」
有馬は長島を指差したまま後ろ向きに教室の出口へと向かった。追い越しざま、一番前の端の席に一人で座っている直子をちらりと見たが、その視野の中に存在しているのは眼前のテキストの問題だけで、周囲のざわめきなど遠くの星で起こった出来事程度にも意識には届いていないように見えた。
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